Re: 百済と韓国は無関係?その1
投稿者: topics_jk 投稿日時: 2009/10/20 21:48 投稿番号: [156846 / 230347]
>頭がワープするようだから
の件だけど、扶余国がしょっちゅう負けている弱小国だから、公孫度や
公孫淵が懐柔する必要があったのか?という疑問を呈しただけで、
ワープしているのは、キミの漢文解釈と扶余国の場所の方じゃ(笑)
前投稿で君が貼り付けた扶余伝の解釈は既出。
No.156841投稿者qapla_jup
>扶余国は玄菟(郡)の北に千余里、南に鮮卑に接し、北に弱水があり、
地積二千里、戸数八万、城邑、宮室があり、土地は五穀の栽培に適して
いる。
>通説では『弱水』=アムール川=黒竜江ですわな。最初からそこにいる
やん。
(中略)
>その国は豊かで、先祖以来、未だかつて破られたことがない。
>戦争に負けた事がないらしいですから、公孫氏とも出会う以前の話ですな。
>その王印の文称は「穢王之印」。
>国の中に昔の穢城があり、元の穢貊の城である
>国の中に穢族の城跡があるという事は、そこが扶余国の考える『先祖伝来
の地』で、私がトピックさんに「領土を取り戻し、宝物も戻ってきて
先祖の建てたと信じる城跡に立ち、『亡命者のようだ』はないでしょう?
とツッコんだ、その地そのもの。
つまり、国替えなんて事実はない。
出典は『晋書』、在り処は多分トピックさんの漢文だけコピペする
ネタ元と同じココ(大笑)
http://members3.jcom.home.ne.jp/sadabe/kanbun/kanbun-fuyo-.htm
>遼東じゃないじゃん。やっぱ漢文読めない(笑)
上記のURLには
夫餘本屬玄菟。漢末、公孫度雄張海東、威服外夷、夫餘王尉仇台更屬遼東。時句麗、鮮卑彊、度以夫餘在二虜之間、妻以宗女。尉仇台死、簡位居立。無適子、有孽子麻余。位居死、諸加共立麻余。牛加兄子名位居、為大使、輕財善施、國人附之、歳歳遣使詣京都貢獻。
扶余は昔、玄菟郡に帰属していた。漢末、公孫度が海東に勇を馳せて、外夷を威服させたとき、扶余王の尉仇台は遼東郡に帰属した。高句麗と鮮卑族が強大となった時、公孫度は扶余が二族の間で苦慮させられたので公孫氏の娘を妻とさせた。
尉仇台が死に簡位居が立った。彼には適子がなく、庶子の麻余がいた。位居が死に、諸加(重臣たち)は麻余を共立した。牛加の兄子で位居という者が大使となし、財政を改善し善政をしたので、国人はこれを副官とし、毎年、遣使として京都(洛陽)に貢献させた。
↑
「扶余王の尉仇台は遼東郡に帰属した。」とある。
漢文は読めない、時系列はワープするでは、僕と議論は無理と書いたでしょうが?
お大事にネ。(猛爆)
の件だけど、扶余国がしょっちゅう負けている弱小国だから、公孫度や
公孫淵が懐柔する必要があったのか?という疑問を呈しただけで、
ワープしているのは、キミの漢文解釈と扶余国の場所の方じゃ(笑)
前投稿で君が貼り付けた扶余伝の解釈は既出。
No.156841投稿者qapla_jup
>扶余国は玄菟(郡)の北に千余里、南に鮮卑に接し、北に弱水があり、
地積二千里、戸数八万、城邑、宮室があり、土地は五穀の栽培に適して
いる。
>通説では『弱水』=アムール川=黒竜江ですわな。最初からそこにいる
やん。
(中略)
>その国は豊かで、先祖以来、未だかつて破られたことがない。
>戦争に負けた事がないらしいですから、公孫氏とも出会う以前の話ですな。
>その王印の文称は「穢王之印」。
>国の中に昔の穢城があり、元の穢貊の城である
>国の中に穢族の城跡があるという事は、そこが扶余国の考える『先祖伝来
の地』で、私がトピックさんに「領土を取り戻し、宝物も戻ってきて
先祖の建てたと信じる城跡に立ち、『亡命者のようだ』はないでしょう?
とツッコんだ、その地そのもの。
つまり、国替えなんて事実はない。
出典は『晋書』、在り処は多分トピックさんの漢文だけコピペする
ネタ元と同じココ(大笑)
http://members3.jcom.home.ne.jp/sadabe/kanbun/kanbun-fuyo-.htm
>遼東じゃないじゃん。やっぱ漢文読めない(笑)
上記のURLには
夫餘本屬玄菟。漢末、公孫度雄張海東、威服外夷、夫餘王尉仇台更屬遼東。時句麗、鮮卑彊、度以夫餘在二虜之間、妻以宗女。尉仇台死、簡位居立。無適子、有孽子麻余。位居死、諸加共立麻余。牛加兄子名位居、為大使、輕財善施、國人附之、歳歳遣使詣京都貢獻。
扶余は昔、玄菟郡に帰属していた。漢末、公孫度が海東に勇を馳せて、外夷を威服させたとき、扶余王の尉仇台は遼東郡に帰属した。高句麗と鮮卑族が強大となった時、公孫度は扶余が二族の間で苦慮させられたので公孫氏の娘を妻とさせた。
尉仇台が死に簡位居が立った。彼には適子がなく、庶子の麻余がいた。位居が死に、諸加(重臣たち)は麻余を共立した。牛加の兄子で位居という者が大使となし、財政を改善し善政をしたので、国人はこれを副官とし、毎年、遣使として京都(洛陽)に貢献させた。
↑
「扶余王の尉仇台は遼東郡に帰属した。」とある。
漢文は読めない、時系列はワープするでは、僕と議論は無理と書いたでしょうが?
お大事にネ。(猛爆)
これは メッセージ 156843 (qapla_jup さん)への返信です.
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