日本と韓国の議論の広場

Yahoo! Japan 掲示板トピックビューアー

[ << 最初のページ | < 前のページ | メッセージリスト | 掲示板表示 | [ メッセージ # ] | 次のページ > | 最後のページ >> ]

kotakyaraさん>日露から併合まで

投稿者: aoiparrot01 投稿日時: 2002/09/30 09:16 投稿番号: [1519 / 230347]
>しかし、1905年のポーツマス条約には「日本政府が朝鮮に於いていかなる軍事上・経済上の益を得ようとも
これを阻害・干渉せざることを約す」と明記され、また当時のロシアは海軍が撃破された直後・南満州からの
朝鮮進出の可能性もなかったにも拘らず、併合はロシア脅威によるものと思われている節があります。
この点は再考するべき点だと思います。

ロシアはポーツマス条約後、南満州からも撤退したものの豆満江方面の韓国との国境に軍が待機状態でした。更に日本にとって厄介だったのは韓国内の根強い親露派の存在です。日韓保護条約による韓国運営が上手くいっていたかといえば、日韓保護条約締結後1年以上経ってまだハーグ密使事件(ハーグの万国平和会議に高宗皇帝が密使を送った事件)事後発覚という手ぬるさでした。宗主国といっても日本に対する韓国の忠誠度は清に対するものとは雲泥の差でしたから、転覆の可能性はその時まだ直あった。或いはあると恐れた。ということではないかと思います。
日露戦争後日本が満州の権益、朝鮮の支配権を独占すると決定してしまってから、併合に至るまでの流れを見る限り、併合はやむを得なかった。と、どうしても感じてしまうのです。
日露戦争では費用を米英の外債に頼っていました。手中におさめた朝鮮は金のなる木ではなかったので、いち早く改革発展させ、利益をあげたいと考えたと思います。改革を急いだ要因はこういう財政面と、もう一つは東アジアの安定を一手に担った日本が韓国の改革に手間取っていることへの西欧からの苛立ちに対する焦り、という精神的な一面も間接的とはいえ無視出来ないように思います。もちろんこればかりではなく、拡張主義や権力志向も見逃せないとは思います。保護国のままだったら、改革はどこまで可能だったのか、考えてみることも面白いかもしれませんが、日本国内で成功した皇民化政策を求心力として日韓併合に用いたことが結果的には上手く機能したと言ってしまうと言い過ぎなのでしょうか。難しい。(最後はこれに戻る)
日露戦争後、アメリカのハリマンによる南満州鉄道の共同経営といった、満州の門戸開放をある程度受け入れておけばその後の流れは変わっただろうと言われますが、歴史にifはないと言われるように、本当のところはわかりません。kotakyaraさん、どう思われます?   日露戦争でアメリカの提案を蹴った時点で日本はアングロサクソンと決別しアジアの盟主になる道を選んだのだと思います。とはいえ実質日本は一人ぼっちだった。他のアジアは国の体裁すらありませんでしたから。

日本の近代史を見ていると、いつも同じキーワードに行き当たるのです。「アメリカ」です。アメリカをどう扱うか、これは今でも日本の最大課題ですよね。近代史を学ぶ時には是非過去の経験からそういうことを学んで欲しいのです。アングロサクソンとアジアという構図は今も変わっていないと思う時、教科書を含む教育のあり方全体の改革は急務だと思うわけです。
日本では、安全保障における戦略を専門的に勉強する大学機関がないと聞いたことがあります。(防衛大学はわかりませんが)
法学部の人に聞いても、記憶にないというのですが、どうなのでしょう。


まだまだ知識が足らず、稚拙で申し訳ないですが、日露あたりまでの議論は面白いですね。いろいろ教えてね。
[ << 最初のページ | < 前のページ | メッセージリスト | 掲示板表示 | [ メッセージ # ] | 次のページ > | 最後のページ >> ]

Yahoo! Japan 掲示板 アーカイヴ

[検索ページ] (中東) (東亜) (捕鯨 / 捕鯨詳細)