monjujz様(閔泳徽)
投稿者: qapla_jup 投稿日時: 2009/01/04 22:47 投稿番号: [132019 / 230347]
1852(哲宗3)〜1935。朝鮮末期の文臣。
1877年庭試文科に丙科で及第、当時の閔氏戚族の勢力を背景に政界に登場
した。
閔氏戚党の中心的人物として1882年壬午軍乱時は反乱軍の襲撃を受けて
家屋が破壊されることもあった。
1884年金玉均等の甲申政変を鎮圧、1886年参議内務府事・都承旨になった。
1887年5月清国の干渉下、修交、締結した外国に外交使節を派遣するとき
駐日弁理大臣として日本に派遣されて、帰国後平安道観察使についた。
1889年江華府留守に転職してから協弁内務府事にのぼり、つづいて刑曹・
礼曹・工曹の判書を順に歴任して漢城府判尹に任命された。
このころ清国をはじめとする外交関係にあって閔泳翊の役割を、代わって
受け持ってからは袁世凱に迎合した。
1891年経理使と吏曹判書を経て錬武公院弁理になった。その後閔氏勢力の
首領として当代に最高の貪官汚吏に数えられながら、1893年内務府督弁・
統営使・経理使・宣惠衙門堂上を兼職して翌年親軍経理使になった。
1894年東学農民運動が起こるや、清国の袁世凱に支援を要請、革命軍討伐を
企図した。日清戦争後、宣恵庁堂上を辞任して三清洞(ソウル鍾路区)別邸に
蟄居した。
その後甲午改革で閔氏戚族とともに失脚、負国貪虐し以致民怨した罪目で
全羅南道霊光郡荏子島に流されたが脱出、平壌に潜行し碧潼の清軍部隊に
身を隠しといてから中国に逃亡した。
翌年日本側の奸計で大院君側の李筇鎔と交換条件形式で大赦令で帰国、
中枢院議長侍従院卿・憲兵隊司令官・表勲院総裁を歴任、政府から
勲一等八卦章・太極章・太極李花大綬章などを受けた。
1910年日韓併合後、日本政府より子爵の爵位を受けて、巨額を投資し
天一銀行(1911年朝鮮商業銀行に改称)と1906年徽文学校を設立した
http://www.geocities.co.jp/nkks437758/kn_v2.html#v210
閔妃の一族と聞くと色メガネで見てしまいますが、このソース自体も
日本では御目にかからない表現から察するに後世の韓国人の視点ですし、
割り引く必要ありかと思います。おそらく閔妃暗殺後、中国に渡った後に
大きな心境の変化があったのかもしれませんね。一見一族、中国、日本と
擦り寄る相手をコロコロ変えた世渡り上手に見えますが、現在抗日運動の
英雄と言われているテロリスト達が全員海外逃亡して、いるべき場所に
いなかったのに対し、彼は朝鮮末期から併合時代にかけて、その時々の
国の命運に上級官吏として関与し(当然上役、主命には逆らえないでしょう)、
帰国後もエリートとして自らが為しうるノーブレス・オブリージュを果たして
いる訳だから立派です。朝鮮の田沼意次、ってカンジでしょうか?
いや、勉強になりました。ありがとうございます。
1877年庭試文科に丙科で及第、当時の閔氏戚族の勢力を背景に政界に登場
した。
閔氏戚党の中心的人物として1882年壬午軍乱時は反乱軍の襲撃を受けて
家屋が破壊されることもあった。
1884年金玉均等の甲申政変を鎮圧、1886年参議内務府事・都承旨になった。
1887年5月清国の干渉下、修交、締結した外国に外交使節を派遣するとき
駐日弁理大臣として日本に派遣されて、帰国後平安道観察使についた。
1889年江華府留守に転職してから協弁内務府事にのぼり、つづいて刑曹・
礼曹・工曹の判書を順に歴任して漢城府判尹に任命された。
このころ清国をはじめとする外交関係にあって閔泳翊の役割を、代わって
受け持ってからは袁世凱に迎合した。
1891年経理使と吏曹判書を経て錬武公院弁理になった。その後閔氏勢力の
首領として当代に最高の貪官汚吏に数えられながら、1893年内務府督弁・
統営使・経理使・宣惠衙門堂上を兼職して翌年親軍経理使になった。
1894年東学農民運動が起こるや、清国の袁世凱に支援を要請、革命軍討伐を
企図した。日清戦争後、宣恵庁堂上を辞任して三清洞(ソウル鍾路区)別邸に
蟄居した。
その後甲午改革で閔氏戚族とともに失脚、負国貪虐し以致民怨した罪目で
全羅南道霊光郡荏子島に流されたが脱出、平壌に潜行し碧潼の清軍部隊に
身を隠しといてから中国に逃亡した。
翌年日本側の奸計で大院君側の李筇鎔と交換条件形式で大赦令で帰国、
中枢院議長侍従院卿・憲兵隊司令官・表勲院総裁を歴任、政府から
勲一等八卦章・太極章・太極李花大綬章などを受けた。
1910年日韓併合後、日本政府より子爵の爵位を受けて、巨額を投資し
天一銀行(1911年朝鮮商業銀行に改称)と1906年徽文学校を設立した
http://www.geocities.co.jp/nkks437758/kn_v2.html#v210
閔妃の一族と聞くと色メガネで見てしまいますが、このソース自体も
日本では御目にかからない表現から察するに後世の韓国人の視点ですし、
割り引く必要ありかと思います。おそらく閔妃暗殺後、中国に渡った後に
大きな心境の変化があったのかもしれませんね。一見一族、中国、日本と
擦り寄る相手をコロコロ変えた世渡り上手に見えますが、現在抗日運動の
英雄と言われているテロリスト達が全員海外逃亡して、いるべき場所に
いなかったのに対し、彼は朝鮮末期から併合時代にかけて、その時々の
国の命運に上級官吏として関与し(当然上役、主命には逆らえないでしょう)、
帰国後もエリートとして自らが為しうるノーブレス・オブリージュを果たして
いる訳だから立派です。朝鮮の田沼意次、ってカンジでしょうか?
いや、勉強になりました。ありがとうございます。
これは メッセージ 132004 (monjujz さん)への返信です.
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