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Re: GDP比寄付額は日本の20倍 -3

投稿者: monjujz 投稿日時: 2009/01/04 21:08 投稿番号: [132004 / 230347]
>寄付総額増加の原因は、親日派認定を恐れたお金持ちが、泣く泣く寄付
する事で吊し上げを逃れただけだったりして(笑)

qapla_jup さんはまだ韓国・朝鮮人を善意で見ているようです。
彼らにとって親日派であることは、どんなに善意の人であろうが、どんなに善行を積もうが最大の悪なのです。
例えば閔泳徽と言う人がいます。親日派認定され子孫が財産没収の憂き目にあっています。

http://www.worldtimes.co.jp/kansok/kan/shakai/081124-4.html

でこの閔泳徽、立派な人で慈善事業も中途半端な額ではありません。
当時投じた私財72万円。今の価値に直して72億程度。
飢饉のときでも今の価値で数千万円の寄付をしています。
これほどの人でも何十年も経てば、極悪人として子孫が財産没収されてしまう。
彼らは明らかに日本人とは違う価値観で生きています。


昭和10年の京城日報の記事です。
http://www.lib.kobe-u.ac.jp/das/jsp/ja/ContentViewM.jsp?METAID=00474889&TYPE=HTML_FILE&POS=1

投じた私財七十二万   新教育を完成   半島金融の危機を救った決意   子爵   閔泳徽氏

病得て既に三年、京城慶雲洞の閑居に静かに養生している従三位子爵閔泳徽氏は嘉永五年の生れだというから本年八十四歳の高齢である、この人の功労を大別すると教育産業の振興および慈善事業の三つに分れる、教育については周知の如く明治三十七年私邸を広成義塾とした、これが仰も閔子爵の育英事業に身を投じた最初である、当時朝鮮の教育は書堂式の古くさいものばかりであった、これでは文明の急潮に流されてしまうより仕方がない、そこで子爵は思い切って新式教育を施すことにした、一面から成功を危まれもしたが子爵の眼に狂いはなく、時流に投じて入学希望者が増加し忽ち塾舎は狭隘をつげ同三十九年に京城苑洞の現在の校地に校舎を新築して徽文義塾すなわち徽文高等普通学校を建て、逐年内容を充実して今日では見事に完成した、その間私財を投すること実に七十二万余円で卒業生を三千五百余名出すに至った
産業の振興に尽くした功労は、明治三十九年白寅基氏の経営せる韓一(現東一)銀行が破産の危機に瀕するや半島経済界に及す影響の少なからぬを思い一大決心を以て整理に着手し、多額の株券を買収し、更に整理資金を朝鮮銀行から融通して貰い、捨て身の挽回策をめぐらして漸くピンチを切り抜け、漸次積極方針に転換を試みついに半島有数の金融機閥に仕立て上げた、又大正七年創設された朝鮮製糸株式会社が同九年第二回資本金の払込に際して財界不況のあおりを喰い予定の進捗を見ず、経営頗る困雄となった時、持前の侠気から一肌抜ぐ決心をして五千株を買収して成立させた、それは多分大正十二年である、更に朝鮮絹織物株式会社の設立に際しては三千五百株を引受けて設立に思い切った援助を試みた
慈善事業としては李範昇氏の個人経営にかかる京城図書舘が経営難に陥るや、その維持費として一万二干円を寄附して救い、南鮮の飢饉の際は、義損金数千円を朝鮮飢饉救済会に寄附した、なお近年美風良俗の衰退する傾向を見て大い慨嘆して孝子や節婦など、その事績の顕著なものには自から金品を贈って之をを表彰し思想善導に尽くしている
  子爵はハキハキした性格で、一度逢った人は十年目に邂逅しても忘れていないという、趣味は書と碁などであったが、今ではそれも出来ない
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