北の将軍の素性(その2)
投稿者: mcpaghd9 投稿日時: 2005/10/25 08:43 投稿番号: [13162 / 230347]
45年、朝鮮に南下した、18万ともいわれる進駐ソ連軍の質は低く、
満州での暴虐をそのまま朝鮮に持ち込んだ。
文句を言い、抗議するものは次々と消えた。
「金日成将軍」もソ連と中国にいわれるがまま、秘密警察を組織し、
45年秋から既に密告の奨励が始まった。
ソ連軍は何故か数個の鉄道大隊、鉄道警備隊も連れてきた。
理由はすぐに分かった。
朝鮮内の大型プレス機などの工場設備、ダム施設機器、
あらゆる工作機械、機械部品を持ち去った。
さらに米20万トンを徴発し、ソ連に運び去った。
殆どの地方で飢餓が広がった。ソ連軍が進駐し、
「金日成将軍」が現れた翌年から餓死者が出始めた。
飢餓も収容所も、80年代や90年代に始まったわけではない。
登場した翌年から始まった話だ。
南では、李承晩が中心になって騒擾を引き起こし、
各地で政敵、穏健派、容共派を襲撃して経済も混乱した。
北と南双方で、李朝以来の春窮が復活した。
日本統治時代に絶えてなかったことが僅か一年で元に復してしまった・・・
ソ連側も異変を感じていた。
「将軍」は年々中国と親交を深め、党、軍ともに
中国語が飛び交い、不明なことが増えていく。
僅か一年半年で「金日成将軍」の秘密警察は約5万人の朝鮮人を
逮捕し、全土17箇所に作られた強制収容所で死刑か、
重労働に課せられた。
「日本時代の方が良かった」と駅の構内でしゃべっただけで
懲役5年が課せられた。早くも誰も何もしゃべらなくなった。
翌47年末までに既に逮捕、粛清、飢餓などにより北朝鮮では
15万人近くが犠牲になった。
スターリンも配下のフルシチョフも北朝鮮問題から
距離を置くようになる。逮捕者が多すぎる、
衛星国建設そのものにさえ支障が出ると、金日成に
ソ連側が抗議するが、事態は変わらなかった。
47年から48年にかけて、20万近かったソ連軍は何故か、
国連からも米国からも何ら圧力を受けたわけでもなく、
どこからも抗議もないまま撤退していった。
軍事顧問団も南進計画の詳細を知るに及んで、
その杜撰さから敗戦を予想、開戦のはるか以前に、
米軍の捕虜になることを恐れ、ソ連に帰還する。
すでに北朝鮮軍の半数は中国人か、中国出身朝鮮族になり、
中国語が一般化していた。
中国は、全土で国民党に勝利を重ね、蒋介石軍は崩壊状態。
49年に中国はチベット東部に侵攻開始、その後十年間で
チベットを蹂躙し尽くし、120万人が犠牲になった。
50年になり、蒋介石は台湾に追いやられ、6月には朝鮮動乱が勃発。
北朝鮮側は軍民合わせて200万人以上が犠牲になった。
スターリンとフルシチョフは、国連軍が素早く反攻して、
早くも50年10月、平壌に達した時点で北朝鮮から完全に
手を引くことを決定した。
スターリンはフルシチョフに「あの男のことはもう関知しない。
ほうっておけ。中国に行こうが、中国と何をしようが勝手に
すればいい」と言った。
彼らも、チベット、台湾、朝鮮と三つの地域での
中国の動きを如実に見てすべてを理解したからだ。
彼らは中国共産党が日本軍との交戦を徹底的に
避けていたことを知らず、勢力を温存していたことを
見逃していたことを知る。
ソ連の傀儡だったはずの男は別な国の傀儡だった。
スターリンにしても生まれて初めて味わう、
まったく不気味な体験だった。
満州での暴虐をそのまま朝鮮に持ち込んだ。
文句を言い、抗議するものは次々と消えた。
「金日成将軍」もソ連と中国にいわれるがまま、秘密警察を組織し、
45年秋から既に密告の奨励が始まった。
ソ連軍は何故か数個の鉄道大隊、鉄道警備隊も連れてきた。
理由はすぐに分かった。
朝鮮内の大型プレス機などの工場設備、ダム施設機器、
あらゆる工作機械、機械部品を持ち去った。
さらに米20万トンを徴発し、ソ連に運び去った。
殆どの地方で飢餓が広がった。ソ連軍が進駐し、
「金日成将軍」が現れた翌年から餓死者が出始めた。
飢餓も収容所も、80年代や90年代に始まったわけではない。
登場した翌年から始まった話だ。
南では、李承晩が中心になって騒擾を引き起こし、
各地で政敵、穏健派、容共派を襲撃して経済も混乱した。
北と南双方で、李朝以来の春窮が復活した。
日本統治時代に絶えてなかったことが僅か一年で元に復してしまった・・・
ソ連側も異変を感じていた。
「将軍」は年々中国と親交を深め、党、軍ともに
中国語が飛び交い、不明なことが増えていく。
僅か一年半年で「金日成将軍」の秘密警察は約5万人の朝鮮人を
逮捕し、全土17箇所に作られた強制収容所で死刑か、
重労働に課せられた。
「日本時代の方が良かった」と駅の構内でしゃべっただけで
懲役5年が課せられた。早くも誰も何もしゃべらなくなった。
翌47年末までに既に逮捕、粛清、飢餓などにより北朝鮮では
15万人近くが犠牲になった。
スターリンも配下のフルシチョフも北朝鮮問題から
距離を置くようになる。逮捕者が多すぎる、
衛星国建設そのものにさえ支障が出ると、金日成に
ソ連側が抗議するが、事態は変わらなかった。
47年から48年にかけて、20万近かったソ連軍は何故か、
国連からも米国からも何ら圧力を受けたわけでもなく、
どこからも抗議もないまま撤退していった。
軍事顧問団も南進計画の詳細を知るに及んで、
その杜撰さから敗戦を予想、開戦のはるか以前に、
米軍の捕虜になることを恐れ、ソ連に帰還する。
すでに北朝鮮軍の半数は中国人か、中国出身朝鮮族になり、
中国語が一般化していた。
中国は、全土で国民党に勝利を重ね、蒋介石軍は崩壊状態。
49年に中国はチベット東部に侵攻開始、その後十年間で
チベットを蹂躙し尽くし、120万人が犠牲になった。
50年になり、蒋介石は台湾に追いやられ、6月には朝鮮動乱が勃発。
北朝鮮側は軍民合わせて200万人以上が犠牲になった。
スターリンとフルシチョフは、国連軍が素早く反攻して、
早くも50年10月、平壌に達した時点で北朝鮮から完全に
手を引くことを決定した。
スターリンはフルシチョフに「あの男のことはもう関知しない。
ほうっておけ。中国に行こうが、中国と何をしようが勝手に
すればいい」と言った。
彼らも、チベット、台湾、朝鮮と三つの地域での
中国の動きを如実に見てすべてを理解したからだ。
彼らは中国共産党が日本軍との交戦を徹底的に
避けていたことを知らず、勢力を温存していたことを
見逃していたことを知る。
ソ連の傀儡だったはずの男は別な国の傀儡だった。
スターリンにしても生まれて初めて味わう、
まったく不気味な体験だった。
これは メッセージ 13155 (mcpaghd9 さん)への返信です.
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