Re: 「世界を変える100人の日本人」
投稿者: monjujz 投稿日時: 2008/12/14 15:01 投稿番号: [129416 / 230347]
淵沢能恵に続く第2弾は、併合時代に朝鮮人によって銅像まで建立された宮崎佳太郎です。
八田與一の銅像は台湾人の有志によって再建されました。
しかし宮崎佳太郎は銅像はおろか名前まで闇に葬られたままになるでしょう。
http://www.lib.kobe-u.ac.jp/das/jsp/ja/ContentViewM.jsp?METAID=00474926&TYPE=HTML_FILE&POS=1京城日報 1935.12.5(昭和10)
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荒蕪地開拓の先駆者三十数万円を寄附
面民が食匙を出し合い銅像を
宮崎佳太郎氏
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宮崎氏は安政五年の正月熊本県に生れた、明治二十三年の二月早くも渡鮮し、今から見れば実に泥土の街であった京城に居をかまえて商業を営んだが、家事の都合で同二十九年一度帰国し、更に三十三年渡鮮して京城で算盤片手に□進した、しかし氏は農事経営の将来有望であると共に、生産事業であるから大いに我が半島のためにも成ると考えて未練気もなく京城を引揚げて□山に赴いた、そして土地買収に着手して農場を設け所有地の一部は自作し範を部落民に示して専ら小作人を指導し農事の改良を策して逐年成績を揚げた
しかし水利灌漑の設備がないために□々旱水害に襲われるので明治四十二年有志をといて地主総代会をつくり工費七万円を投じ、沃溝郡米面および濃井面内に防潮堤や排水関門を□設する一方水路を掘り荒蕪地を□事に開拓した、これがもとで今日見る如き大沃野を現出するに至ったものであるこれは全く氏の犠牲的努力によるものといっていい
また氏は各種の公益や社会事業に尽しそのため私財を投じた額が三十数万円の多きに達しているが一向名利に走らず一農業者を以て甘じているのは世にも稀な篤行者で他に一寸類例を見ない、また大正七年農事改良、道□改修費の面基本財産として土地一万余坪建物二十一坪を面に寄附している、面民この徳をたたえて感謝のあまり各戸挙って食匙一本宛を醵出し、これにより面事務所構内に氏の銅像を建てた
現在−全北沃溝部米面□場甲(当七十八歳)
*当時の30数万円と言う金額を現在の価値に直すには1万倍すれば,それ程遠くない数字になる。従って今の金額で30億円もの私財を投入したということです。
これは メッセージ 129330 (monjujz さん)への返信です.
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