Re: 所詮、また願望でウソをつく半島人
投稿者: run_run72 投稿日時: 2008/11/20 00:32 投稿番号: [125749 / 230347]
>朝鮮半島経由と思いたくないだけの話ですな。
思いたくないのは事実だな。
文化の通り道になった、
伝言ゲームの真ん中に立っていたっていうほどのことを
威張りねちねちねちねち恩にかける気色の悪いミンジョクからは
距離をおきたい、という願望は確かにある。
>当時の未熟な航海術では、夜間航海が出来ないから、昼間だけ航海して夜は港に停泊する。所謂、尺取虫のような地乗り航法でしか航海できないから、難波から瀬戸内海を抜けるだけでも何日もかかる。日数がかかる分、水、食糧の補給の必要も出てくる。こまめに補給する必要があったわけだな。さらに風向きや潮流の関係で何日も停泊する事もあるから、停泊地での人的交流や文化交流も起きるという事だ。
仮にそうだとしても、朝鮮半島経由というよりは、
寄港地がいくつかあった、と言うハナシだよな。
経由せずに安全に目的地に航行できればそれが、ベスト。
寄港に要する時間は、時間、コストともムダだろう。
条件が許せば省きたいよな。
ま、勢力圏にあるところ、勢力圏としようとしているところを
パトロールする、という意味もあったかもしれんが。
>遣隋使の時代には、百済は法王か武王治世時代だが?
どういう風に半島が日本の影響下にあったのかね?
少なくとも4世紀頃から日本は朝鮮半島に勢力を持っている。
(広開土王の碑)
武寧王は日本生まれとされており、
百済の王子がその後も倭国に人質としてきている。
白村江の戦いが7世紀後半の663年。
遣隋使は7世紀の初頭ごく短い間行われた。
この間、継続して日本が朝鮮半島に一定の勢力を持っていたことは
確かだろうね。
でないと人質をとったり(日本がだよ)、
百済復興の援軍を送ったりするはずがない。
つまり、倭国が一定の勢力を半島で保持し、半島が影響下にあったってことだよね。
自国の勢力が一定程度あり、安全でもあり、
パトロールも必要だった。
それが遣唐使の南路が必要となる頃までは続いたってこったね。
どっちにしろ、
目的は、中国の文化を学び移入することであって、
半島人は、中国の反射で光っていただけさ。
その光を分けてやったといわんばかりに、
恩にかけられてもな。
あんたらのけち臭さが際立つだけだよ。
ほかに言うことはないのか。
ほかに誇ることはないのか。
バカくさい連中だなってな。
これは メッセージ 125596 (topics_jk さん)への返信です.
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