Re: 所詮、また願望でウソをつく半島人
投稿者: topics_jk 投稿日時: 2008/11/19 11:34 投稿番号: [125596 / 230347]
>>文化の流入は、700年頃までは朝鮮半島経由だったから致し方ないのでは?
>そう思いたいんだろうが、それは願望だろ。
朝鮮半島経由と思いたくないだけの話ですな。
>>遣隋使および遣唐使経路にしても
>朝鮮半島は経由しとらんじゃん(笑)
>>北路は難波〜筑紫〜壱岐〜対馬〜朝鮮半島西岸北上〜渤海湾横断〜山東半島上陸の経路。
>朝鮮半島西岸沿いの海を北上だろ。
>>海道創路は筑前〜朝鮮半島西岸北上〜渤海湾横断〜山東半島南岸西行〜華北・華中沿岸南下〜揚州上陸の経路。
>これも朝鮮半島西岸沿いの海を北上。
当時の未熟な航海術では、夜間航海が出来ないから、昼間だけ航海して夜は港に停泊する。所謂、尺取虫のような地乗り航法でしか航海できないから、難波から瀬戸内海を抜けるだけでも何日もかかる。日数がかかる分、水、食糧の補給の必要も出てくる。こまめに補給する必要があったわけだな。さらに風向きや潮流の関係で何日も停泊する事もあるから、停泊地での人的交流や文化交流も起きるという事だ。
1596年、釜山と堺の間を往復した朝鮮通信使『日本往還日記』をみれば、対馬海峡横断だけでも、かなりの日数を要した事が分かる。
「対馬に回りてより後、風に阻まれ留ること26日。一行皆帰を思い、悶欝として日を度(は)かる。盖(けだ・蓋?)し渡海には須(すべか)らく東南風を得べくも、冬月はこの風を得難し。故に留滞してここに至る。嘆ずべし。」
朝鮮通信使は、往路8月4日に、釜山を出発し10日に、対馬府中(厳原)に着いている。7日の航海日数である。しかし帰路は、冬になり、大陸から北西の風が吹くため、11月6日に府中を発って、釜山に着くのは11月23日である。17日かかつてしまう。同じ区間でも、季節により航海日数が大きく異なることが良くわかる。
>>統一新羅との関係悪化で朝鮮半島経由航路が使用できず、新しく開発した南路航路で中国に渡ったのが8世紀初頭702年からですからね
>いずれも、朝鮮半島を経由しているのではなく、
朝鮮半島の沖を通っているだけ。
南路は半島から遠く離れとる。
しかも、遣隋使の頃は、半島は日本の影響下にあったんだが(笑)
だから、安全に通行できるというもの(笑)
遣隋使の時代には、百済は法王か武王治世時代だが?
どういう風に半島が日本の影響下にあったのかね?
これは メッセージ 125566 (run_run72 さん)への返信です.
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