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Re:其の時の topics_jk 祖国②

投稿者: ouka1gou 投稿日時: 2008/11/10 03:10 投稿番号: [124009 / 230347]
  では朝鮮国は清国に対してどのような態度で接していたのか。

  明治15年朝鮮事変において、朝鮮国王高宗(李載晃)の実父であり、当時の執政者でもある大院君(李&#26160;應)は、清国道台(監督長官)馬建忠などから拉致されて清国直隷省保定府に軟禁された。
  それに対して朝鮮国王が趙寧夏と金宏集を陳奏使として清国に派遣し、「朝鮮国王李熙陳情表」を呈したことなどはその典型である。(李熙は李載晃の諱。)
  その書において、高宗は清国皇帝に対して自らを臣と称し、「謹奏、為臣本生父航海入朝、臣席藁候罪」と、中国にいる実父の事で臣たる私は罪人として裁きを待ちますとの意を述べ、次のように父大院君の帰国の許しを乞うた。

(「2.朝鮮事変弁理始末/2 兇徒伏法」p40の「朝鮮国王李熙陳情表」より抜粋。)
  「臣之心焦震剥、何異於嬰児之離懐膝、童心飲泣、如窮無帰」「皆臣之罪、臣本生父並無縁毫干渉」「伏惟皇帝陛下、孝治天下、聖極人倫」「将臣本生父、即許帰国、俾小邦父子君臣、感誦皇恩、永々無極、臣不勝瞻天望星、痛泣祈祝之至」

  「臣たる私の心は震え、あたかも嬰児が親の懐や膝から引き離されて拠るべきところを無くして憧心から泣いているようなものであります」、「罪は皆臣たる私にあり、実父は毫も関係ありません」「天下に善政をされ聖極人倫なる皇帝陛下に伏して願います」、「臣の実父の帰国を許して下されれば、小国の父子君臣は感激して皇恩を永久無限に唱え、私が天に望む星を仰ぎ見る以上の、感泣の極み祝賀の至りであります」

  まことに情感に訴えて切々たる陳条ではあるが、清国はこれを受け入れず、この後3年間幽閉した。

  しかし、そもそも執政者であり国王の実父である人を他国に拉致されるという最高度の主権侵害をされて、その国の「皇帝」に対して自ら「臣」と称することなど「自主独立国」ならありえないことであろう。まして皇帝の許しを乞うことを陳情するなどというに至っては論外である。

  これは明らかに当時の朝鮮国王並びに朝鮮政府は、清国皇帝に隷属する家臣であることを自認していたことに他ならない。

  さらに明治15年9月調印の清国と朝鮮国間の条約である「中國朝鮮商民水陸貿易章程」(「中朝約章合編」p3)に至っては、その冒頭に於いて「朝鮮久列藩封」また「此次所訂水陸貿易章程係中國優待属邦之意」とあって、朝鮮が中国に従属する国であることを記し、
  また八条に於いて「應随時由北洋大臣與朝鮮國王咨商妥善請、旨定奪施行」と、清国北洋大臣と朝鮮国王を同等位置に記述し、(同p8)
  また二十三条には「來往文書應遵體例朝鮮必須尊稱天朝或稱上國字様」、すなわち「往来の文書は朝鮮よりは必ず須らく(清国を)天朝と尊称し或いは上国の字様を称すべし」とある。(同p16)
  朝鮮政府はこのような条約に調印したことからも、朝鮮国王は北洋大臣と同地位であり、清国皇帝の家臣であり、国としての上下関係において、朝鮮国は清国のことを「天朝」又は「上国」と称し、それに従属する下位の国であることを朝鮮自ら是認しているのである。(ちなみに、清兵のことは「天兵」と称している)

  先の王大臣の書簡が明治9年1月であり、陳奏使派遣は明治15年9月頃であり「貿易章程」も同時期とタイムラグがあるが、この間に独立国だったものがいつの間にか清国の属国となったという事跡も無いので、この間の朝鮮国王並びに朝鮮政府の自覚は一貫したものであると考えられる。

  すなわちここでの「朝鮮国は清国の属国である」と言う表記は筆者にとって極めて妥当なものであると言わざるを得ない。
韓トビ追い出された属国人topics_jkは、自分の国の勉教をしていなさい。
偉そうにてめえの国の恥を棚上げにしてふざけた坊主だ。
韓トビに帰れチョントピ
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