フソシャ歴史教科書 11個問題項目 4
投稿者: pyeongyang_kim 投稿日時: 2005/09/25 20:34 投稿番号: [12306 / 230347]
大東亜戦争=アジア被圧迫民族解放では(276~277ページ)
1941年 12月8日午前 7時人々は日本軍が米-領軍と戦闘状態に入って行ったということを臨時ニュースで分かった. 日本はマレーシア, フィリピン, ジャバ, ミャンマードエソミ, オランダ, イギリス軍を壊して結局 100日位に大勝利をおさめて緒戦を圧した.
これは数百年にわたった白人の植民地支配に苦しんだ現地人たちの協力があったから可能な勝利だった. 日本の緒戦勝利は東南アジア人々, ひいてはアフリカ人たちにも独立への夢と勇気を引き立てた.
日本政府はこの戦争を大東亜戦争だと名付けた(前後アメリカはこれを太平洋戦争だと呼んだ). 日本の戦争目的は自尊自衛とアジアを欧米の支配から解放させて大東亜共栄圏を建設する事だと宣言した. 日本に引き続きドイツ, イタリアもアメリカに宣戦布告をした. このようにして仕事, 毒, これに対抗して米,英,オランダ, 牛, お坊さんが連合して争う第2次世界大戦が本格化こんにちはだった.
戦争初期に日本軍が連合軍を撃破したことは長期間欧米の植民地支配の下にあったアジア人々に勇気を与えた. 日本軍の虜になったイギリス軍引導兵士の中で人道局民軍が結成されて日本軍とヒョブリョックハに引導に向けて進撃した. インドネシアとミャンマーでも日本の援助で軍隊組職が作られた.
日本のジドザドングには戦争遂行のために占領地域を日本のグンゾングハに置いた方が良いという考えも強かった. しかしこの地域人々が日本に送る期待に返事するために日本は 1943年ミャンマー, フィリピンを独立させてまた自由引導臨時政府を承認した.
なおかつ日本はこのようなアジア各地域に戦争への協力を要請して団結を誇示するために 1943年 11月この地域の代表を東京に招待して大東亜会議を開催した. 会議では各国の自主独立, 各国の協力による経済, 人種差別撤廃を提唱した大東亜共同宣言が発表されて日本の戦争理念が明らかになった. これは連合国の大西洋憲章に対抗することを目標にしていた.
日本の虐殺合理化(288~289ページ)
女態までの歴史で戦争を通じて非武装した人々に対する殺害と虐待をゾンヒョしない国はなくて, 日本も例外ではない. 日本軍も戦争中に真空した地域で虜になった敵国の兵士と民間に対して不当な殺害と虐待をした.
一方多い日本兵士と民間人も犠牲された. 例えば第2次世界大戦ではないソ連軍は満洲に侵入して日本の一般市民を殺害,掠奪, 暴行を繰り返えしたし, 虜を含んで 60万名の日本人をシベリアに強制連行して苛酷な労動をさせたし約 1割を死ぬようにした. また米軍の無差別爆撃と原爆投下でも膨大な数の犠牲者が出た.
ナチスドイツは第2次世界大戦中ユダヤ人に対するホロコーストをほしいままにした. 一方日本はドイツと同盟を結んでいたが日本人の中にはユダヤ人を助けた人々もいた. 陸軍小将ヒグチKiichiではシベリアを通じて逃げて来た紐帯難民の満洲国入国を認めて救援した. またリトアニア駐在領事だったスギしなさいジウネは 6千名のユダヤ人にビザを発給して日本を経由して逃げだす道を開いてくれた.
1941年 12月8日午前 7時人々は日本軍が米-領軍と戦闘状態に入って行ったということを臨時ニュースで分かった. 日本はマレーシア, フィリピン, ジャバ, ミャンマードエソミ, オランダ, イギリス軍を壊して結局 100日位に大勝利をおさめて緒戦を圧した.
これは数百年にわたった白人の植民地支配に苦しんだ現地人たちの協力があったから可能な勝利だった. 日本の緒戦勝利は東南アジア人々, ひいてはアフリカ人たちにも独立への夢と勇気を引き立てた.
日本政府はこの戦争を大東亜戦争だと名付けた(前後アメリカはこれを太平洋戦争だと呼んだ). 日本の戦争目的は自尊自衛とアジアを欧米の支配から解放させて大東亜共栄圏を建設する事だと宣言した. 日本に引き続きドイツ, イタリアもアメリカに宣戦布告をした. このようにして仕事, 毒, これに対抗して米,英,オランダ, 牛, お坊さんが連合して争う第2次世界大戦が本格化こんにちはだった.
戦争初期に日本軍が連合軍を撃破したことは長期間欧米の植民地支配の下にあったアジア人々に勇気を与えた. 日本軍の虜になったイギリス軍引導兵士の中で人道局民軍が結成されて日本軍とヒョブリョックハに引導に向けて進撃した. インドネシアとミャンマーでも日本の援助で軍隊組職が作られた.
日本のジドザドングには戦争遂行のために占領地域を日本のグンゾングハに置いた方が良いという考えも強かった. しかしこの地域人々が日本に送る期待に返事するために日本は 1943年ミャンマー, フィリピンを独立させてまた自由引導臨時政府を承認した.
なおかつ日本はこのようなアジア各地域に戦争への協力を要請して団結を誇示するために 1943年 11月この地域の代表を東京に招待して大東亜会議を開催した. 会議では各国の自主独立, 各国の協力による経済, 人種差別撤廃を提唱した大東亜共同宣言が発表されて日本の戦争理念が明らかになった. これは連合国の大西洋憲章に対抗することを目標にしていた.
日本の虐殺合理化(288~289ページ)
女態までの歴史で戦争を通じて非武装した人々に対する殺害と虐待をゾンヒョしない国はなくて, 日本も例外ではない. 日本軍も戦争中に真空した地域で虜になった敵国の兵士と民間に対して不当な殺害と虐待をした.
一方多い日本兵士と民間人も犠牲された. 例えば第2次世界大戦ではないソ連軍は満洲に侵入して日本の一般市民を殺害,掠奪, 暴行を繰り返えしたし, 虜を含んで 60万名の日本人をシベリアに強制連行して苛酷な労動をさせたし約 1割を死ぬようにした. また米軍の無差別爆撃と原爆投下でも膨大な数の犠牲者が出た.
ナチスドイツは第2次世界大戦中ユダヤ人に対するホロコーストをほしいままにした. 一方日本はドイツと同盟を結んでいたが日本人の中にはユダヤ人を助けた人々もいた. 陸軍小将ヒグチKiichiではシベリアを通じて逃げて来た紐帯難民の満洲国入国を認めて救援した. またリトアニア駐在領事だったスギしなさいジウネは 6千名のユダヤ人にビザを発給して日本を経由して逃げだす道を開いてくれた.
これは メッセージ 12305 (pyeongyang_kim さん)への返信です.
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