Re: タイタニック訂正しろ。
投稿者: ouka1gou 投稿日時: 2008/10/31 21:20 投稿番号: [122994 / 230347]
この男は、ロシアから日本への帰国途中この船に乗り合わせた。沈没の際に女子供を押しのけて救命ボートに飛び乗った。客船沈没の成功を政府に報告せねばならなかった。・・・・
その日、金日成は生まれた。←だからどうした。
(Yahoo管理人殿:削除申請があれば、それはハッカーの仕業です)
お前、ハッカーかチョッカー知らなねえ、チョンの事も知らねえが、いい加減な事は止めろ下記の通りだ
タイタニック号の日本人
タイタニック号に乗船していた唯一の日本人は、細野正文さん。映画「タイタニック」が上映されたとき、プログラムにYMOの細野晴臣さんのお祖父さんにあたる方だという記事が載って、一躍有名になった。
細野正文さんは新潟県上越市の出身で高等商業学校(現・一橋大学)を卒業し鉄道院に就職したエリート官僚だった。第一回鉄道院在外研究員として、ロシアとイギリスの鉄道施設の視察を終えて、ニューヨーク経由で日本に帰国するためタイタニック号に乗り合わせた。41歳だった。
タイタニック号は1911年5月に進水式をし、1912年4月2日に試運転をしたばかりで4月10日サウサンプトンを出航し、ニューヨークに向かった。快晴に恵まれ波もない処女航海にふさわしい快適な航海の始まりだった。
当時ヨーロッパの列強は植民地経営の花盛りしころで、同時にアメリカではゴールドラッシュ。ヨーロッパ大陸とアメリカ大陸との北大西洋横断航路はビジネスマンと移民の往来でまさにドル箱路線だった。そこに、イギリスとドイツの汽船会社が大型客船を投入し、速さと豪華さで火花を散らしていた。
タイタニック号のホワイトスター汽船会社(イギリス)は、当時経営危機が叫ばれ、1902年からアメリカのモーガン財閥の支配下になっていた。ライバル会社のキュナード汽船は海軍の造船技術を取得しスピードの面で大きくホワイトスターを引き離していた。そこで、ホワイトスターは豪華客船を看板に巻返しを図ろうとしていた。
映画のシーンで強調されたタイタニック号の豪華な船内はライバル競争の現われで、その上スピード面でもライバルの鼻を明かそうとしていた。
4月14日、朝から数度にわたって付近を航行する船から氷山情報が入っていたが、夜になっても船長が速度を落とそうとしなかったのは、豪華さばかりでなくスピードでも世界の注目を集め、ライバルに後れを取った会社の挽回を図ろうとしたためだった。そして、夜11時40分、氷山に進む船を左に舵を取り正面衝突を回避したものの、右舷船首部分に数十メートルの亀裂を作り浸水が始まった。2時間40分後船は真っ二つに割れ氷点下の海中に沈んだ。
この時、乗客だった細野正文さんは2等客室にいた。乗務員のノックの音で起きた正文さんは大変なことになっていると気付いた。とっさに思ったことは、「日本人の恥にはなるまい」ということと「もう豊(妻)と子供には会えないという覚悟」と同時に「何とか助かれたら」という相反する心境だった。続く
その日、金日成は生まれた。←だからどうした。
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お前、ハッカーかチョッカー知らなねえ、チョンの事も知らねえが、いい加減な事は止めろ下記の通りだ
タイタニック号の日本人
タイタニック号に乗船していた唯一の日本人は、細野正文さん。映画「タイタニック」が上映されたとき、プログラムにYMOの細野晴臣さんのお祖父さんにあたる方だという記事が載って、一躍有名になった。
細野正文さんは新潟県上越市の出身で高等商業学校(現・一橋大学)を卒業し鉄道院に就職したエリート官僚だった。第一回鉄道院在外研究員として、ロシアとイギリスの鉄道施設の視察を終えて、ニューヨーク経由で日本に帰国するためタイタニック号に乗り合わせた。41歳だった。
タイタニック号は1911年5月に進水式をし、1912年4月2日に試運転をしたばかりで4月10日サウサンプトンを出航し、ニューヨークに向かった。快晴に恵まれ波もない処女航海にふさわしい快適な航海の始まりだった。
当時ヨーロッパの列強は植民地経営の花盛りしころで、同時にアメリカではゴールドラッシュ。ヨーロッパ大陸とアメリカ大陸との北大西洋横断航路はビジネスマンと移民の往来でまさにドル箱路線だった。そこに、イギリスとドイツの汽船会社が大型客船を投入し、速さと豪華さで火花を散らしていた。
タイタニック号のホワイトスター汽船会社(イギリス)は、当時経営危機が叫ばれ、1902年からアメリカのモーガン財閥の支配下になっていた。ライバル会社のキュナード汽船は海軍の造船技術を取得しスピードの面で大きくホワイトスターを引き離していた。そこで、ホワイトスターは豪華客船を看板に巻返しを図ろうとしていた。
映画のシーンで強調されたタイタニック号の豪華な船内はライバル競争の現われで、その上スピード面でもライバルの鼻を明かそうとしていた。
4月14日、朝から数度にわたって付近を航行する船から氷山情報が入っていたが、夜になっても船長が速度を落とそうとしなかったのは、豪華さばかりでなくスピードでも世界の注目を集め、ライバルに後れを取った会社の挽回を図ろうとしたためだった。そして、夜11時40分、氷山に進む船を左に舵を取り正面衝突を回避したものの、右舷船首部分に数十メートルの亀裂を作り浸水が始まった。2時間40分後船は真っ二つに割れ氷点下の海中に沈んだ。
この時、乗客だった細野正文さんは2等客室にいた。乗務員のノックの音で起きた正文さんは大変なことになっていると気付いた。とっさに思ったことは、「日本人の恥にはなるまい」ということと「もう豊(妻)と子供には会えないという覚悟」と同時に「何とか助かれたら」という相反する心境だった。続く
これは メッセージ 122976 (yamamoto_hibari2006 さん)への返信です.
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