Re: 韓国の偉大な言葉を貶す田舎もん
投稿者: run_run72 投稿日時: 2008/08/03 16:31 投稿番号: [111618 / 230347]
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%8E%8B%E4%BB%81
ウィキだがな
>古事記
>古事記によると王仁は百済から献上された賢者とされる。
献上?献上なんだW
>* 文:「百濟國 若有賢人者貢上 故 受命以貢上人名 和邇吉師 即論語十卷 千字文一卷 并十一卷付是人即貢進(此和邇吉師者、文首等祖)
> * 訳:百済にもし賢人がいるのであれば献上せよとの(応神天皇の)命令を受け、(百済が)献上した人の名前は和邇吉師(わにきし)という。論語十巻と千字文一巻のあわせて十一巻をつけて献上した(王仁によって『論語』『千字文』すなわち儒教と漢字が伝えられたとされている。ただし、千字文は王仁の生存時まだ編集されておらず、この記述から王仁の実在には疑問符がつけられることも少なくない。帰化した複数の学者が、『古事記』編纂の際にひとりの存在にまとめられたのではないかとされる説もある。
>[編集] 日本書紀
『日本書紀』によると、王仁は百済王の使者阿直岐(あちき)という学者の推薦を受け、応神天皇の招待に従って応神天皇16年2月に百済から渡来し、、菟道稚郎子皇子の師となり、後に帰化した学者である。
>[編集] 続日本紀
続日本紀によると、子孫である左大史・正六位上の文忌寸(ふみのいみき)最弟(もおと)らが先祖の王仁は漢の皇帝の末裔と桓武天皇に奏上したという記述がある。このことから王仁は楽浪郡出身で百済にやってきた漢人の家系に連なり、漢高帝の末裔であるとされる。この記述が真実であれば、王仁は313年の楽浪郡滅亡の際に百済へと亡命した楽浪王氏の一員ではないかと考えられる。
楽浪の時代を通じて強力な勢力をもった楽浪王氏は斉(中国山東省)の出自
>朝鮮半島の人間が中国風の一字姓を名乗りはじめるのは統一新羅以降の風習で、当時の百済の人間が王姓を名乗っているとは考えにくく、この点から考えても楽浪王氏であるという説は説得力を持っている。
漢族の家系だそうだ(大笑)
>[編集] 韓国での王仁
元来、朝鮮には王仁伝承は存在しなかった。現在は彼の地でも知られているが、これは近代になって流入した知識によるものである。韓国で王仁は日本に文化を伝えた『韓国人』として扱われており、中学生用の国定歴史教科書には「王仁は日本に進んだ文化を伝えた」と記述されている。また、近年、全羅南道の霊岩郡では、毎年王仁博士祭りを開き、日本に文化を伝えた王仁を記念している(現在全羅南道には王仁関連の遺跡も存在しているが、1970年代以降に創作されたものであり、伝承地が作られてゆく生きた実例となっている)。
しかし、王仁は日本書紀、古事記、続日本紀にのみ記述され、韓国に残る歴史書である三国史記、三国遺事などの書籍には王仁、あるいは王仁に比定される人物の記述は存在しない。このため、韓国人の歴史学者の間では、王仁は架空の存在であり、実在しない人物であった、とする見方が一般的である。
王仁の存在は、近代になって知ったそうだ。
日本人から教えてもらったんだね。
で、韓国人の歴史学者の間では架空の人物とされているそうだ(笑)
かわいそうにねえ。
ウィキだがな
>古事記
>古事記によると王仁は百済から献上された賢者とされる。
献上?献上なんだW
>* 文:「百濟國 若有賢人者貢上 故 受命以貢上人名 和邇吉師 即論語十卷 千字文一卷 并十一卷付是人即貢進(此和邇吉師者、文首等祖)
> * 訳:百済にもし賢人がいるのであれば献上せよとの(応神天皇の)命令を受け、(百済が)献上した人の名前は和邇吉師(わにきし)という。論語十巻と千字文一巻のあわせて十一巻をつけて献上した(王仁によって『論語』『千字文』すなわち儒教と漢字が伝えられたとされている。ただし、千字文は王仁の生存時まだ編集されておらず、この記述から王仁の実在には疑問符がつけられることも少なくない。帰化した複数の学者が、『古事記』編纂の際にひとりの存在にまとめられたのではないかとされる説もある。
>[編集] 日本書紀
『日本書紀』によると、王仁は百済王の使者阿直岐(あちき)という学者の推薦を受け、応神天皇の招待に従って応神天皇16年2月に百済から渡来し、、菟道稚郎子皇子の師となり、後に帰化した学者である。
>[編集] 続日本紀
続日本紀によると、子孫である左大史・正六位上の文忌寸(ふみのいみき)最弟(もおと)らが先祖の王仁は漢の皇帝の末裔と桓武天皇に奏上したという記述がある。このことから王仁は楽浪郡出身で百済にやってきた漢人の家系に連なり、漢高帝の末裔であるとされる。この記述が真実であれば、王仁は313年の楽浪郡滅亡の際に百済へと亡命した楽浪王氏の一員ではないかと考えられる。
楽浪の時代を通じて強力な勢力をもった楽浪王氏は斉(中国山東省)の出自
>朝鮮半島の人間が中国風の一字姓を名乗りはじめるのは統一新羅以降の風習で、当時の百済の人間が王姓を名乗っているとは考えにくく、この点から考えても楽浪王氏であるという説は説得力を持っている。
漢族の家系だそうだ(大笑)
>[編集] 韓国での王仁
元来、朝鮮には王仁伝承は存在しなかった。現在は彼の地でも知られているが、これは近代になって流入した知識によるものである。韓国で王仁は日本に文化を伝えた『韓国人』として扱われており、中学生用の国定歴史教科書には「王仁は日本に進んだ文化を伝えた」と記述されている。また、近年、全羅南道の霊岩郡では、毎年王仁博士祭りを開き、日本に文化を伝えた王仁を記念している(現在全羅南道には王仁関連の遺跡も存在しているが、1970年代以降に創作されたものであり、伝承地が作られてゆく生きた実例となっている)。
しかし、王仁は日本書紀、古事記、続日本紀にのみ記述され、韓国に残る歴史書である三国史記、三国遺事などの書籍には王仁、あるいは王仁に比定される人物の記述は存在しない。このため、韓国人の歴史学者の間では、王仁は架空の存在であり、実在しない人物であった、とする見方が一般的である。
王仁の存在は、近代になって知ったそうだ。
日本人から教えてもらったんだね。
で、韓国人の歴史学者の間では架空の人物とされているそうだ(笑)
かわいそうにねえ。
これは メッセージ 111616 (keserakeserakesera さん)への返信です.
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