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トヨタの苦悩ー2

投稿者: jap1111111111111111111111111111 投稿日時: 2005/07/10 16:50 投稿番号: [88034 / 196466]
1994年、正月明け。

ようやくトヨタの看板高級車「クラウン」の上海生産にめどがたちました。
合弁相手は宇宙・軍需産業を統括する国務院航空天工業部。
そのトップである部長(閣僚)がOKを出したのだから、安堵するもの当然でした。

トヨタにせっつかれて工業部は最後の詰めを急ぎました。

二月、部長(閣僚)が中南海に国家主席、江沢民を訪ね、合弁事業の概要を説明しました。
しかし江沢民の返事は素っ気なっかたのです。

「まもなく新たな自動車政策をまとめる。それに沿ってやってくれ」

発表された政策は外資の進出条件として年間最低十五万台の生産能力を課したものでした。

当時、中国政府は、貧困を根絶し人々の生活を一定水準に引き上げる「小康」政策を掲げ、失業対策に重点を置いていました。すそ野の広い自動車生産を増やせば雇用拡大が期待できます。

五〇年代に大手の第一汽車で工場長を務めた車族の江沢民は、かつての庭を自らの政策実現のてこに使いました。

前年に主席の座を射止め、基盤確立を急ぐ江沢民の野心ものぞきました。
「年間十五万台」は単なる産業戦略ではなく国家戦略でした。

当時の航天工業部傘下メーカーの生産能力は年間八千台。トヨタがいくらてこ入れしても早期の条件クリアは不可能でした。トヨタは性能や顧客サービスを売り込み打開を図ったが、工業部も主席肝入りの政策に盾突くことはできませんでした。

「部長(閣僚)、あなたのところとやっていては百年たっても許可が下りない。終わりにしよう」

こうしてトヨタのシナリオは崩れました。

それでもトヨタは最大の成長市場である上海にこだわりました。
上海汽車のワーゲンに続く第二番目の合弁相手に名乗りを上げました。米ゼネラルモーターズ(GM)とフォードも途中参戦しました。

上海市に影響力を持つ要人は同市市長から副首相に就いた朱鎔基(しゅようき)でした。

朱鎔基がキーパンソンと踏んだトヨタは接触を試みました。工業部と話が頓挫した直後、朱鎔基率いる代表団が同市と姉妹都市の大阪市を訪れたタイミングを見逃しませんでした。

社長の豊田達郎が滞在先にホテルを訪問。さらに朱鎔基をトヨタ本社に招きました。

「上海でカムリをやるつもりです」

朱鎔基はうなずきました。

しかし上海汽車の本命は世界最大の自動車メーカーGMでした。
中国にとっては、車の質より雇用につながる生産規模のほうが重要でした。

トヨタ中国部長   浅野健一(60)は、早い段階で上海汽車幹部から「トヨタは食前酒。メーンディッシュはGM」と耳打ちされていました。

トヨタはGMとの交渉を有利に運ぶための道具立てにすぎませんでした。
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