トヨタの苦悩−1
投稿者: jap1111111111111111111111111111 投稿日時: 2005/07/10 16:49 投稿番号: [88033 / 196466]
ほたるが中国株を始め、自動車銘柄を研究したとき、最初に疑問に思ったことがあります。いや、中国株を始めた多くの方々が疑問に思うことかもしれません。
それは、「ホンダが中国で成功しているのに、なぜ、日本のトップ企業・トヨタの影は薄いのだろうか」ということです。
影が薄いというより、出遅れているという言い方の方が適当かもしれません。
その疑問を解消してくれるレポートが、最近、当サイトの掲示板に寄せられました。
長文にわたるレポートだったため、掲示板には何回かに書き分けられていました。
筆者(EMMA様)のご了承をいただきましたので、当研究室の重要レポートとして、ご紹介します。
題して「なぜトップ企業は出遅れたのか? -- -トヨタ自動車の苦悩」
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6月に北京で行われた国際自動車ショー。
トヨタ自動車専務、豊田章男(48)の表情がこわばったのは、次の中国人記者の質問でした。
「5月にはいいニュースが聞けると楽しみにしていたのですが」
事実、中国第四位の自動車メーカー、広州汽車との合弁事業の許可が当初から遅れていました。
「今、政府の許可を待っている段階でございます」
創業家出身のプリンスは、答弁書を読み上げるように答えると、後は聞かれてもいない他の事業の説明を始めました。世界中の記者の前で戦略分野の遅れを正される屈辱 -- 。章男の口調は怒りを押し殺すように早口に変わっていきました。
中国市場で欧米のライバルに大きく水をあけれたトヨタにとって、広州との合弁事業は巻き返しへの突破口。
しかも手がけるのは名誉会長、章一郎(79)の長男で、近い将来トップ就任が確実視されている章男でした。
中国事業の成功は内外の世襲批判を封じ込める意味からも失敗は許されません。
いわゆる創業家のメンツをかけた戦いです。
しかし、北米市場で大ヒットしたセダン「カムリ」を投入した広州との合弁は、エンジン製造の許可が下りただけでした。肝心の乗用車製造は、合意から一年たった7月末にようやく事業開始への第一ステップである、項目建議書の許可が出るなど牛の歩みを続けています。
乗用車需要のピークと見込まれる五輪開催年の2008年ににらんで計画した06年初頭からの生産、販売はほぼ絶望的になりました。
国内、北米市場では向かうところ敵なしのトヨタが、総力を挙げても思うようにならない事態に、あるうわさが飛び交いました。
話は日中国交回復から間もない、1978年にさかのぼります。
その年、日本に訪問した訒小平(とうしょうへい)はトヨタに中国進出を要請しました。
ところが、トヨタ首脳は「中国人がうちの車を買えるようになるまで、一体何年かかるでしょうか」と冷笑したと言います。
帰国した訒小平は、「今後30年、中国大陸でただの一台も車を造らせるな」と、怒りをあらわにして部下にそう言い渡したといいます。
トヨタはもちろんこの話を否定しますが、訒小平の遺言説が一定の説得力を持つほど、中国市場でのトヨタの苦戦は際立って見えます。
焦るトヨタをあざわらうかのように、当初06年の予定だった独ダイムラークライスラーのベンツ生産は、北京汽車との合弁が異例の早さで許可され、生産開始が05年に繰り上がりました。
トヨタは何を間違えたのか。
それは、「ホンダが中国で成功しているのに、なぜ、日本のトップ企業・トヨタの影は薄いのだろうか」ということです。
影が薄いというより、出遅れているという言い方の方が適当かもしれません。
その疑問を解消してくれるレポートが、最近、当サイトの掲示板に寄せられました。
長文にわたるレポートだったため、掲示板には何回かに書き分けられていました。
筆者(EMMA様)のご了承をいただきましたので、当研究室の重要レポートとして、ご紹介します。
題して「なぜトップ企業は出遅れたのか? -- -トヨタ自動車の苦悩」
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6月に北京で行われた国際自動車ショー。
トヨタ自動車専務、豊田章男(48)の表情がこわばったのは、次の中国人記者の質問でした。
「5月にはいいニュースが聞けると楽しみにしていたのですが」
事実、中国第四位の自動車メーカー、広州汽車との合弁事業の許可が当初から遅れていました。
「今、政府の許可を待っている段階でございます」
創業家出身のプリンスは、答弁書を読み上げるように答えると、後は聞かれてもいない他の事業の説明を始めました。世界中の記者の前で戦略分野の遅れを正される屈辱 -- 。章男の口調は怒りを押し殺すように早口に変わっていきました。
中国市場で欧米のライバルに大きく水をあけれたトヨタにとって、広州との合弁事業は巻き返しへの突破口。
しかも手がけるのは名誉会長、章一郎(79)の長男で、近い将来トップ就任が確実視されている章男でした。
中国事業の成功は内外の世襲批判を封じ込める意味からも失敗は許されません。
いわゆる創業家のメンツをかけた戦いです。
しかし、北米市場で大ヒットしたセダン「カムリ」を投入した広州との合弁は、エンジン製造の許可が下りただけでした。肝心の乗用車製造は、合意から一年たった7月末にようやく事業開始への第一ステップである、項目建議書の許可が出るなど牛の歩みを続けています。
乗用車需要のピークと見込まれる五輪開催年の2008年ににらんで計画した06年初頭からの生産、販売はほぼ絶望的になりました。
国内、北米市場では向かうところ敵なしのトヨタが、総力を挙げても思うようにならない事態に、あるうわさが飛び交いました。
話は日中国交回復から間もない、1978年にさかのぼります。
その年、日本に訪問した訒小平(とうしょうへい)はトヨタに中国進出を要請しました。
ところが、トヨタ首脳は「中国人がうちの車を買えるようになるまで、一体何年かかるでしょうか」と冷笑したと言います。
帰国した訒小平は、「今後30年、中国大陸でただの一台も車を造らせるな」と、怒りをあらわにして部下にそう言い渡したといいます。
トヨタはもちろんこの話を否定しますが、訒小平の遺言説が一定の説得力を持つほど、中国市場でのトヨタの苦戦は際立って見えます。
焦るトヨタをあざわらうかのように、当初06年の予定だった独ダイムラークライスラーのベンツ生産は、北京汽車との合弁が異例の早さで許可され、生産開始が05年に繰り上がりました。
トヨタは何を間違えたのか。
これは メッセージ 1 (messages_admin さん)への返信です.
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