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投稿者: ppuppu_poo 投稿日時: 2005/06/25 12:27 投稿番号: [85461 / 196466]
《先ず守備隊の東門を出ますと、殆ど数間間隔に居留民男女の惨殺死体が横はつて居るのを目撃し、一同悲憤の極に達しました。敵兵は見当りませんでしたので、夜半迄、専ら生存者の収容に擔りました。「日本人は居ないか」と連呼し乍ら、各戸毎に調査して参りますと、鼻部に牛の如く針金を通された子供や、片腕を切られた老婆、腹部を銃剣で刺された妊婦等が、彼所此所の塵、埃箱の中や、壕の内、塀の蔭等から、続々這ひ出して来ました。》
《某飲食店内には一家悉く皆首と両手を切断されて居るのを目撃しました。婦人と云ふ婦人は十四五歳以上は悉く強姦されて居りまして、見るに忍びませんでした。》
《旭軒と云ふ飲食店に入りますと、そこに居りました七八名の女は全部裸体にされ、強姦射(刺)殺されて居りまして、陰部に箒を押込んである者、口中に土砂を填めてあるもの、腹部を縦に断ち割つてあるもの等、全く見るに堪へませんでした。》
《東門の近くの鮮人商店の付近に池がありましたが、その池には首を縄で縛り両手を併せて、それに八番鉄線を通し(貫通)一家六名数珠繋ぎにして引廻された形跡、歴然たる死体がありました。池の水は血で赤く染つて居たのを目撃しました。》
あまりにも残虐な虐殺法であった。しかし、これは古代支那から続く戦法であった。
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