「天網」を復活させることを誓う
投稿者: hangyosyufu 投稿日時: 2005/06/20 01:45 投稿番号: [84726 / 196466]
5年の獄中体験で、私の信念はさらに強くなった。我々を救えるのは、自分たちしかいないのだ。
アメリカのルーズベルト元大統領はかつてこう言った。功労は、闘技場で戦った勇士に送られる。今の中国は、闘技場である。民主と自由を勝ち取ることは、勇士たちの共同の志である。
近いうちに、関係部門に「天網」と「ナーハン網」の復旧申請をする。中国政府が許可するかどうかは別問題だが、私は目標を達成させるまで絶対に挫けない。同志はますます増えているし、必ず成功することを信じている。そのために、例え自分の命が奪われても構わない。
今の中国の現状を見ると、私たちの努力が足りなかったという原因もある。これからは、もっとかんばって行かなければならない。私たちの子供が、もう独裁社会に生きることのないように、すべての子孫のために、自分の責任を果たさなければならない。
後記 黄蒅氏と「天網」についての簡単な紹介
1998年10月に、黄蒅氏と妻・曽莉さんが、行方不明者を探すためのサイト「天網」(www.64tianwang.com)を設立した。
中国では、この分野の第一人者であった。
当初の目的は、「天安門大虐殺」事件で、失踪したひとたちを見つけることであった。
ウェブサイトの発展に伴って規模がどんどん拡大し、世間の注目を浴びるようになった。
多くの人は「天網」に、行方不明となった家族の資料を貼り付けるようになった。わずか1年間で、200あまりの離散家族が、再会することができた。「天網」の話題が世間での美談となり、数百のメディアがそれを報道した。人民日報も含めて、99年の中国九大ウェブサイトにも選ばれた。
その間、黄蒅氏らは、中国の低層社会と接触する機会が増えた。不公平な待遇を受けた百姓のために、「叫び」というコラムを開設した。
最初に暴露したのは、四川省の漁民二十万人が海外に集団労働派遣されるために盲腸を切除する手術を強制された事件だった。国内外の100以上のメディアが、このことを報道した。
当時の首相・朱熔基氏が、この事件を徹底調査するよう命じたという。この事件は、四川省の関係部門の個人的利益に触れたため、黄蒅氏は、政府部門と暴力団の両サイドから、度々脅迫を受けた。
2000年2月、同サイトで国家機構が保険業務で不正行為を行ったという訴状が掲載されたため、関係する地方官僚が大激怒、「天網」は封鎖された。
アメリカのあるインターネットプロバイダの支持を得て、3月にアメリカ企業のサービスで業務を再開した。
民衆は、サイトで数々の冤罪を訴えはじめ、宗教や思想上のことを理由に逮捕された大勢の人のリストまで公表した。中国政府に対する批判が益々強くなった。6月3日に成都市の警察は、黄蒅氏の会社事務所で民衆と記者を前に彼を逮捕した。
黄蒅氏が逮捕されたことは、国際社会に衝撃を与え、多くのメディアが報道した。
2003年4月、「コンピュータによる自由とプライバシーを考える年次総会」では、全世界各地から数百人の専門家が集結し、黄蒅氏事件の解決に協力を呼びかけた。2004年6月に、「国境なき記者団」と「フランス基金会」が、「インターネットの自由賞」を黄蒅氏に授与した。(大紀元記者・辛霏)
アメリカのルーズベルト元大統領はかつてこう言った。功労は、闘技場で戦った勇士に送られる。今の中国は、闘技場である。民主と自由を勝ち取ることは、勇士たちの共同の志である。
近いうちに、関係部門に「天網」と「ナーハン網」の復旧申請をする。中国政府が許可するかどうかは別問題だが、私は目標を達成させるまで絶対に挫けない。同志はますます増えているし、必ず成功することを信じている。そのために、例え自分の命が奪われても構わない。
今の中国の現状を見ると、私たちの努力が足りなかったという原因もある。これからは、もっとかんばって行かなければならない。私たちの子供が、もう独裁社会に生きることのないように、すべての子孫のために、自分の責任を果たさなければならない。
後記 黄蒅氏と「天網」についての簡単な紹介
1998年10月に、黄蒅氏と妻・曽莉さんが、行方不明者を探すためのサイト「天網」(www.64tianwang.com)を設立した。
中国では、この分野の第一人者であった。
当初の目的は、「天安門大虐殺」事件で、失踪したひとたちを見つけることであった。
ウェブサイトの発展に伴って規模がどんどん拡大し、世間の注目を浴びるようになった。
多くの人は「天網」に、行方不明となった家族の資料を貼り付けるようになった。わずか1年間で、200あまりの離散家族が、再会することができた。「天網」の話題が世間での美談となり、数百のメディアがそれを報道した。人民日報も含めて、99年の中国九大ウェブサイトにも選ばれた。
その間、黄蒅氏らは、中国の低層社会と接触する機会が増えた。不公平な待遇を受けた百姓のために、「叫び」というコラムを開設した。
最初に暴露したのは、四川省の漁民二十万人が海外に集団労働派遣されるために盲腸を切除する手術を強制された事件だった。国内外の100以上のメディアが、このことを報道した。
当時の首相・朱熔基氏が、この事件を徹底調査するよう命じたという。この事件は、四川省の関係部門の個人的利益に触れたため、黄蒅氏は、政府部門と暴力団の両サイドから、度々脅迫を受けた。
2000年2月、同サイトで国家機構が保険業務で不正行為を行ったという訴状が掲載されたため、関係する地方官僚が大激怒、「天網」は封鎖された。
アメリカのあるインターネットプロバイダの支持を得て、3月にアメリカ企業のサービスで業務を再開した。
民衆は、サイトで数々の冤罪を訴えはじめ、宗教や思想上のことを理由に逮捕された大勢の人のリストまで公表した。中国政府に対する批判が益々強くなった。6月3日に成都市の警察は、黄蒅氏の会社事務所で民衆と記者を前に彼を逮捕した。
黄蒅氏が逮捕されたことは、国際社会に衝撃を与え、多くのメディアが報道した。
2003年4月、「コンピュータによる自由とプライバシーを考える年次総会」では、全世界各地から数百人の専門家が集結し、黄蒅氏事件の解決に協力を呼びかけた。2004年6月に、「国境なき記者団」と「フランス基金会」が、「インターネットの自由賞」を黄蒅氏に授与した。(大紀元記者・辛霏)
これは メッセージ 84724 (hangyosyufu さん)への返信です.
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