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あの頃

投稿者: n_o_i_s_e_m_a_n 投稿日時: 2005/06/07 12:16 投稿番号: [82946 / 196466]
>バブルが弾け随分経つ。友も死に、妻も死んでいった。

ちなみに私もバブルがあと1年続いていたらこの世に居なかったでしょう。

システム屋にとっても殺人的に忙しい時代で、まして建設関係だったので3K仕事を敬遠する世代に振り回された物です。

プラトーンやハンバーガーヒルといったベトナム戦争映画にあったように、新兵を鍛えて一人前になり掛けたら3年ともたずに消え去ってしまい、また次の年から新兵教育を始めたものです。
それどころか日々の戦闘がさらに激しさを増す中で、同僚も上司も櫛の歯が抜けるようにいなくなる中で、踏み止まって戦い続けたものです。(この仕事が好きでしたから)

中堅どころがごっそり抜けるたびに当然しわ寄せで忙しさは飛躍的に増大します。

特に24時間運用型システムを作ったときなど、夜中の3時に「動かなくなった」と電話でたたき起こされて現場に行ったものです。(1日止まると数百(千)万の損害になります)そんなことが2・3回あると夜中の電話が恐ろしくて不眠症になります。(アムロのように「寝るのも仕事のうち」と布団を被って朝まで過ごしました)

そのうち心臓はキュンキュン痛み出して「救心」をボリボリかじりながら仕事したものです。(神経科で安定剤や睡眠薬も貰いましたがほとんど効きません)

不眠症で頭は朦朧、心臓と胃の痛みも激しく血尿血便まで出だして「全てのアラームは真っ赤」になりいよいよ本土決戦並みに追い込まれてきて、「これは過労死するな。」と分ってはいましたが、人員の補充は頼むもののすぐにものになるはずも無く、「もはや代わりをする者もいない」状態で納期ギリギリでシステムを組んでいました。

この頃の気持ちを一言で言えば「覚悟」でした。

ところが幸いなことにバブルが弾けて仕事量が一気に減り、下の子らも育ってきて仕事的には楽になりました。

(上司がごっそり抜けたせいで歳の割には早く責任ある地位になり今度は仕事の確保に苦しむことになったわけですが)

「あの頃の覚悟」があるので、多少の危機ではびくともしないようになりました。
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