自分が妥協する人は、他人にも妥協させる
投稿者: wof2000 投稿日時: 2005/05/05 21:47 投稿番号: [75775 / 196466]
君が代強制に関する下級審の判決、あるいは、マスメディアやネットにあふれる評論などを見てみると、結局、この問題は、問題を論じるその人自身が、命がけで守りたいと思うような思想・良心を持っているか否か、の違いであるように思えますね。ウヨサヨのイデオロギー論争は脇に置くとして。
自分自身がそのような思想良心の持ち主であれば、たとえ他人の思想・良心の内容に同意はしなくても、それを守りたいと願う気持ちには共感できます。逆に言えば、特定の思想を強制することで、個人にとって大切な思想良心を踏みにじる非道さを理解することが出来ます。もちろん、法律や社会常識と折り合いをつけて、という限定はありますが、基本的に思想良心の自由は尊重されるべきものです。法律の範囲内での自由、お上の意向に反しない限りでの自由、こんな旧憲法のような自由権は、臣民の自由にすぎません。
立場が入れ替わった場合を少し想像してみましょう。あなたが勤めている会社が、北朝鮮系の企業に買収され、乗っ取れらたとします。そして、毎朝朝礼で"金日成を称える歌"を歌うよう業務命令が下されます。さて、あなたならどうするでしょう。"長いものには巻かれろ"と歌いますか、それとも口パクでごまかしますか?
「歌わない、それは私の良心が許さない」という人に対して、「いやなら辞めろ」と言えますか?
「給料取りなんだから、業務命令に従うのは当然だ」と言えますか?
この場合、「上司から命令されたんだから歌う」と答える人なら、君が代斉唱強制も「これくらい我慢すべきだ」と容認するでしょう。「たとえ上司の命令であっても、良心に恥じるようなことはできない」と答える人ならば、君が代斉唱強制の理不尽さも理解できるでしょう。
自分自身が思想良心の問題で妥協してしまう人なら、他人にも妥協を要求してしまうのかもしれません。
これは メッセージ 75754 (wof2000 さん)への返信です.
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