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阿片密売の真犯人

投稿者: yuki6000jp 投稿日時: 2005/04/26 23:27 投稿番号: [72051 / 196466]
低能支那人自らの愚かな選択と連綿と続く低能支那人の阿片狂い

●西暦500年ころまでに、阿片・ケシが中国・インドに渡来
●1840年、香港に市営阿片専売局が設立される

●1800年代中期

雲南省の商人、山岳民族の移民たちが、インドシナ・ビルマの山地(標高1000メートル以上)にケシを持ち込む。主としてメオ族とヤオ族がインドシナに、ラフ族、ワ族、カチン族、リス族がビルマ北東部に。
●1876年

中国人の阿片常用者1500万人に達する

●1880年

阿片常用者の増加により、原産地は雲南省だけでなく、四川省、中国南部と中部の多くの省に広がる
●1901年

インドシナ総督の報告によると、阿片専売公社から小売される阿片の半分は雲南省産だった

●1914年

フランス当局が雲南からの専売公社を通さない阿片の取締りをしたところラオス史上最大の反仏暴動が発生
●1920年代初期

上海においては赤色の「ヘロイン」錠剤が主力に

●1934年

上海でのヘロイン吸飲量が阿片を上回る
●1973年

雲南省保山地区において、ケシの試栽培開始、広西チワン族自治区などで本格的な栽培を開始

満州国軍が、緑林・馬賊・匪賊出身者が大多数を占め、そのほとんどが文盲・無頼の類であったことを考えれば、あるいは非とするに当たらないとも思われる。

  満州国建国当時の国内は、至る所に土匪が出没し、その政情不安につけ込むかのように、コミンテルンの指導を受ける赤匪〔共産主義の匪賊の意か?〕、不逞鮮人〔当時の呼称・朝鮮独立運動を行っていた朝鮮人共産主義者〕さらには八路匪〔支那共産党の八路軍の工作部隊〕が跳梁跋扈していたのである。  

  また、当時の満州は阿片の産地であり、満州国軍の将兵も堂々と阿片を栽培し、それを販売し、自らも吸引していた。六月頃の採取期に入ると軍も警察も匪賊も一切休戦となって、専ら採取に専念する。芥子の実が熟し過ぎると液が出なくなるし、出る量が減少するので、一日を争う作業となるわけで、猫の手も借りたいほど多忙で、急を要し、軍隊の人海戦術の威力を発揮する絶好の機会という次第となる。

  もっともこれは援農とかいうものではなくて、団長は何町歩、連長は何町歩〔団長とは聨隊長・連長とは支那語で中隊長のこと〕、排長は何段歩という割当てというか、権利というかを消化する作業で、兵は兵でそれ相当の余得があり、この時ばかりは討伐には行かない軍医や軍需官〔支那語で主計官のこと〕までが総動員で参加するわけである。

  軍隊が出動一週間の戦果は、莫大な金額と思われるが、おそらくこの金は旅長、軍管区司令官と上司につながって、当時半分は私兵であった軍の資金となっていたものと思われる。

  支那では、儒教の影響で文を尊び武を卑しむ。満州国軍の将兵も、支那社会の最底辺の人物が多く、阿片の密売、武器弾薬の横流し、良民への犯罪行為などは日常茶飯事であった。

  また、満州国軍将兵の相当数が阿片中毒者であった。
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