再掲2
投稿者: apoxy_07 投稿日時: 2005/04/22 17:32 投稿番号: [68541 / 196466]
10万体があったっていっても城外東〜南〜西方向へ
崇善堂の埋葬隊が何隊かに分かれて、さらに村民も動員
して放射状に埋葬活動を進めていったことが判ってる。
JR山手線の外周からさらに外側へ放射状に埋葬活動を
するとなるとかなり広い面積になる。
東京ドームに7万人入るのだから、JR山手線の外側
数キロ〜十数キロに10万の死体を散らばせたら、ぜんぜん
目立ちませんよ。壮絶な光景って、そりゃ東京ドームの
面積に10万死体なら壮絶でしょうが。。
1937年12月から翌年8月まで本来の活動を停止していたと言えば、
何をやっていたか普通分かるだろうに。
更に、一応わざわざ当時の崇善堂堂長の、埋葬活動支援を求める手紙まで
941で掲載したのに、これもやっぱり捏造だとでも言いたいのかな?
加えて980氏が発掘してみればと言っているが、
崇善堂の埋葬記録の検証は1947年の発掘調査時に既に検証済み。
一体否定派は何を根拠に活動に疑問視しているんだ?
崇善堂は1929年設立の、現実の団体だぞ。
上記2団体以外に、赤十字会南京分会が
1937年12月24日から1938年5月31日までに
2,2683体を処理したことが報告されている。
もう一つの慈善団体、同善堂は従来、死亡した嬰児を専門に埋葬していたが、
南京陥落後、同胞の遺体処理のために専門の埋葬組を組織して埋葬に当たった。
組長の劉徳有は1947年1月、南京軍事法廷で証人として出廷し、
この埋葬組が処理した遺体は、7,000体余であると供述している。
上述の様な、慈善団体、福祉団体以外に、
民間、市民のボランティアが埋葬隊を自主的に組織して遺体処理に当っている。
その数の合計は約3万5千体になる。
顕著なのは湖南省の木材商人、盛世征、昌開運らで、
彼らは、金を出して人を雇い、上新河地区の死体を埋葬した。
その数は2,8730体に上る。
彼等は報告書の中で「一つの遺体を処理すれば法定貨幣で4角を支払った。
この遺体処理で費やした金額は、1万余元になる」と述べている。
その他に、張鴻儒、楊広才ボランティアが処理した遺体は7,000体余に上る。
南京陥落後にできた、日本の傀儡政府で処理した遺体数は、6,000体余になる。
1939年2月になっても、中山門外霊谷寺、馬群一帯の山上には、
尚、3,000体余荒れた遺体が、風雨にさらされ、誰も収容していなかった。
市政公署は衛生局に指示して埋葬させた。
その跡に、「無主孤魂碑」と書かれた慰霊碑を建てた。
又、傀儡政権下の下関区区長、劉連祥は日軍碇泊場司令部から良民証を、
延べ208枚発行してもらって、中山碼頭から揚子江に沿って遺体処理に当り、
埋葬した数は3,240体になると傀儡政権南京市自治委員会に報告している。
崇善堂の埋葬隊が何隊かに分かれて、さらに村民も動員
して放射状に埋葬活動を進めていったことが判ってる。
JR山手線の外周からさらに外側へ放射状に埋葬活動を
するとなるとかなり広い面積になる。
東京ドームに7万人入るのだから、JR山手線の外側
数キロ〜十数キロに10万の死体を散らばせたら、ぜんぜん
目立ちませんよ。壮絶な光景って、そりゃ東京ドームの
面積に10万死体なら壮絶でしょうが。。
1937年12月から翌年8月まで本来の活動を停止していたと言えば、
何をやっていたか普通分かるだろうに。
更に、一応わざわざ当時の崇善堂堂長の、埋葬活動支援を求める手紙まで
941で掲載したのに、これもやっぱり捏造だとでも言いたいのかな?
加えて980氏が発掘してみればと言っているが、
崇善堂の埋葬記録の検証は1947年の発掘調査時に既に検証済み。
一体否定派は何を根拠に活動に疑問視しているんだ?
崇善堂は1929年設立の、現実の団体だぞ。
上記2団体以外に、赤十字会南京分会が
1937年12月24日から1938年5月31日までに
2,2683体を処理したことが報告されている。
もう一つの慈善団体、同善堂は従来、死亡した嬰児を専門に埋葬していたが、
南京陥落後、同胞の遺体処理のために専門の埋葬組を組織して埋葬に当たった。
組長の劉徳有は1947年1月、南京軍事法廷で証人として出廷し、
この埋葬組が処理した遺体は、7,000体余であると供述している。
上述の様な、慈善団体、福祉団体以外に、
民間、市民のボランティアが埋葬隊を自主的に組織して遺体処理に当っている。
その数の合計は約3万5千体になる。
顕著なのは湖南省の木材商人、盛世征、昌開運らで、
彼らは、金を出して人を雇い、上新河地区の死体を埋葬した。
その数は2,8730体に上る。
彼等は報告書の中で「一つの遺体を処理すれば法定貨幣で4角を支払った。
この遺体処理で費やした金額は、1万余元になる」と述べている。
その他に、張鴻儒、楊広才ボランティアが処理した遺体は7,000体余に上る。
南京陥落後にできた、日本の傀儡政府で処理した遺体数は、6,000体余になる。
1939年2月になっても、中山門外霊谷寺、馬群一帯の山上には、
尚、3,000体余荒れた遺体が、風雨にさらされ、誰も収容していなかった。
市政公署は衛生局に指示して埋葬させた。
その跡に、「無主孤魂碑」と書かれた慰霊碑を建てた。
又、傀儡政権下の下関区区長、劉連祥は日軍碇泊場司令部から良民証を、
延べ208枚発行してもらって、中山碼頭から揚子江に沿って遺体処理に当り、
埋葬した数は3,240体になると傀儡政権南京市自治委員会に報告している。
これは メッセージ 68539 (apoxy_07 さん)への返信です.
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