日中関係

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再掲

投稿者: apoxy_07 投稿日時: 2005/04/22 17:31 投稿番号: [68539 / 196466]
http://tmp.2ch.net/kova/kako/1015/10159/1015950434.html

近年では、日中共同で行なわれている研究により、こういったその他の団体の
活動がどのようなものだったのかが明らかになってきている。
南京事件60周年にあたる1997年には、東京で開かれたシンポジウムで、
中国江蘇省社会科学院の孫宅巍氏によりその成果の一端が発表された。

  国際委員会       30,000体
  紅卍字会        43,123体
  崇善堂        112,267体
  赤十字社        22,683体
  同善堂          7,000体
  湖南の材木商      28,730体
  城南市民         7,000体
  南京市第1区役場     1,233体
  南京市下関区役場     3,240体
  南京市衛生局       3,000体
  安達少佐       100,000体   長江に投棄や江北にて焼却・埋める
  南京侵攻部隊      50,000体

   合計        408,276体

但しこの中には、中国兵の遺体や、遺体収容・処理の重複もかなりあるとのこと。
重複を考慮すると、この半数ぐらいで見るのが妥当じゃないかな?

南京の民間慈善団体や福祉団体が処理した遺体は、約18万5千体。
その処理数の一番多かったのは、
1929年から南京市社会局に登録されて、慈善事業を推し進めていた崇善堂。
崇善堂はその遺体処理にあたり、自身の職員だけでは処理しきれず、
臨時工を雇ったり、多くの農民や有志の市民に依拠して遺体処理を行なった。
崇善堂の処理した数は、1937年12月26日から1938年5月1日までで、
男性109,363体、女性2,091体、子供813体、
計112,267体と報告されている。

その埋設個所は各隊毎に記録され、1947年3月に南京で開かれた軍事法廷では
その幾つかの埋設個所を掘り起して、人骨数と報告数との確認が行なわれてるよ。

次いで処理数の多かったのは、1923年に設立された紅卍字会で、
この団体の報告によれば、1937年12月22日から、
1938年10月までに、南京域内で1,793体、
南京域外で4,1330体処理したと報告されている。

この団体は日本軍と蜜月状態にあったらしくて、
他の慈善団体・ボランティアの有志と違い金を貰って埋葬を行なっている。

崇善堂の堂長・周一漁は、1938年12月6日、
困難を排し、慈善事業を継続するための援助を求めて、
江蘇救済委員会にあてて文書を提出しているよ。
彼はこの文書の中で次のように述べている。
崇善堂は当時「埋葬隊を組織し、平常の慈善事業以外の救済活動を行なって」おり、「援
助の方法を講じ、当崇善堂の慈善事業を途中で頓挫せしめぬよう」要求すると。
また、中華門外の兵工廠、雨花台、望江磯、花神廟、普徳寺、水西門外莫愁湖等
実際、崇善堂の死体埋葬地点における大量の死体の発掘、納棺が、
その事実の存在を立証している。

南京城外の兵工廠、雨花台、望江磯、花神廟、普徳寺、等各地域で
独立した埋葬隊を組織して、日本軍が全くタッチしていなかった崇善堂の
活動は、南京城内の安全区にいたベイツ等にはあまり伝わらなかったのでは?
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