>上海万博、宿泊は42万人分不足
投稿者: oji3453 投稿日時: 2005/04/04 12:36 投稿番号: [45524 / 196466]
規模こそ違え
大阪万博がふと思い出されました。70年日本が高度成長へまっしぐら走っていた時代です。
(万博)
ちょうど愛知万博が開かれる。これは再分配機能としてはかなり大きな位置を占めると思われる。この数年関西経済の落ち込みが激しく、反面中部経済の好調が伝えられた。理由の一つはトヨタの成功が上げられるが、万博に投じられた公的資金、および私企業の資金もまた大きな比率を占めると思われる。
1970年の大阪万博での、開催直前の半年の工事の追い上げはすざましいものであった。地方でトラックを運転していると、交差点で止まれば軒並み大阪に行かないか、と声をかけられたぐらいである。それらしき労働者狩りの人たちの立ち話では、前金を渡したが門司で逃げられた、などという会話が交わされていた。会場本体、各パビリオン、関係者の宿舎、そして民間では、全国から集まった労働者の宿舎として「文化住宅」の建設が進められた。公費だけでなく、民間企業の持つ資金が投入され、ばら撒かれた。まさに壮大な再分配である。開催期間中も、生活に必要な資金以外のお金が、多くの参観客によってばら撒かれた。しかも、それまで東京都較べて物価が安く、生活し易かった大阪の物価は跳ね上がった。農家は儲かったが、再分配にありつけない、都市市民はこぞって暮らしにくくなった。
万博が始まると、失業者が増大した。一儲けしにきた出稼ぎ労働者は地方へ帰ったが、帰るところのない労働者は失業者として残った。そして西成暴動が起きた。つまり万博と言う再分配機能は持続性を持たなかった。
ここで万博というプロジェクトの再分配機能は、その開催決定に始まる建設過程と、博覧会が開催されてからの、異質の再分配構造を持っていることがわかる。前者は建設が終われば消滅する再分配機能である。
これは メッセージ 45523 (hangyosyufu さん)への返信です.
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