ロシアの満州南進。
投稿者: hdcrt54 投稿日時: 2004/11/05 20:12 投稿番号: [37784 / 196466]
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アムール河の流血
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北清事変最中である明治33年6月1日
清国兵がロシア領ブラゴエシチェンスクを襲撃したことに端を発して、ロシアは同地の清国人を捕縛の上、老若男女5000人あまりを黒竜江(アムール河)にて虐殺した。この惨劇は清国人のみならず多くの日本人に義憤を巻き起こし、ロシアの非人道的行為を糾弾する声が高まった。さらにロシアは月には東清鉄道の防衛を口実にして大軍を送り込み、ついには満州全土を占領した。ついで明治33年11月
極東総督アレキシーフは清国に迫りロシアに有利な密約を結び、さらに翌明治34年には列国の反対にもかかわらず第2の露清条約を結ぼうとしたが、これは日英両国の反対によってロシアは要求を撤回するに至った。
義和団の乱の第一報が届いた時、ロシア陸相クロパトキンは笑みを浮かべて「満州を占領する口実ができた。満州を第二のブハラ(1868年に征服した中央アジア)にするつもりだ」とウィッテ蔵相に豪語し、さらに皇帝ニコライ二世は、満州を占領後は更に朝鮮も占領することを欲しており、ロシアの侵略的野心は止むことはなかった。かくして北清事変後に乗じてロシアは虎視眈々としていた満州を軍事占領、その矛先は朝鮮に及び、極東の緊張は一層たかまっていったのである。
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