反日の原因はアイリスチャンの捏造本
投稿者: seekthetruth24 投稿日時: 2004/08/15 04:31 投稿番号: [35233 / 196466]
要するに
戦後自虐左翼の事実誇大・捏造を
アイリス張が
引き継いだわけですね。両国関係を悪化させているのは明らかに90年代の中共・新華社の策謀「日本人イメージ壊滅作戦」
アイリス捏造本の背後に中国共産党・新華社・人民日報プロパガンダだけでなく 朝日新聞社・岩波書店の姿が見えるのも うなずけます。
http://www.history.gr.jp/nanking/
そこで『レイプ・オブ・ナンキン』の写真を検証してみると。。。。。。(中略)
たとえば生首が10個前後並んでいる写真は(組写真の1つ)は、チャンの本には「南京の犠牲者」と説明してあるが、1930年に中国官憲によって処刑された匪賊の首であることが判明している。
結論から言えば11枚の写真は「やらせ」「すりかえ」「合成」が多く、1937年の南京周辺と推定出来るものは1枚もないと断言できる。そうはいっても、断言の根拠を知りたいと言う人もいようから、2、3の写真について説明を加えよう。
慰安婦強制連行の怪
写真 (3)−1
(アイリス・チャン本)
写真 (3)−2
(左のハレーションに注目)
写真 (3)−3
(アサヒグラフ版)
だが、写真(3)シリーズともなると、(1)や(2)に比べて一段と悪質の度を増す。幸い手のこんだトリックの過程が明らかになったので、手口分析をやってみよう。まずアイリス・チャン本(A)の写真((3)−1)に付してある説明文は次のとおり。
「日本軍は何千人もの女性を狩りたてた。大多数が集団レイプされるか、軍用慰安婦にされた(出所は中国の軍事委員会政治部)」
私の知る限りで同じ写真を掲載している文献を列挙しておく。
B 『鉄証如山』(台北、1982)
C 『侵華日軍暴行総録』(北京、1995)
D 笠原十九司『南京事件』(岩波新書、1997)
説明文の主旨はいずれもAと似たりよったりだが、出所を明示しているのはD(写真(3)−2)だけなので、次にそのキャプションをかかげる。
「日本兵に拉致される江南地方の中国人女性たち。国民政府軍事委員会政治部『日寇暴行実録』(1938年刊行)所載」(第三章扉)
どうやらAとDは出所が同じらしいと見当はつくが、疑問に思ったのは写真のトリミングや鮮明度に微妙な格差が生じていることだった。あとで説明する『アサヒグラフ』版の原写真と比較すると、B、Dはトリミングが同じだが、AとCは右端の荷車を引くオバさんをカットしている。鮮明度が全般的に落ちているのは当然だろうが、気になるのは先頭の女児につづく妙齢らしい女性のあたりがDだけハレーションを起こしたようにぼやけている。
ともあれ、慰安婦の強制連行写真にしては、のんびりとした風情で、赤ん坊を抱いた女性もいれば、子供が少なくとも4人、にこにこ顔の少年も1人見える。兵隊は行軍時と同様に肩に鉄砲をかついでいるが、銃剣はつけていない。
久しく疑問を抱いていたこの写真が、実は写真週刊誌『アサヒグラフ』の1937年11月10日号に掲載され、翌年3月に朝日新聞社から発売された『支那事変写真全輯−中−上海戦線』にも転職されていることに気がついたのは、今年の1月になってであった。
問題の写真、「硝煙下の桃源郷−江南の『日の丸部落』」の標題で、熊崎玉樹特派員が撮影した4枚の組写真のうちの1枚である。
全体の説明文を見ると、日付は10月14日、舞台は上海郊外の宝山県で「我が軍の庇護によって平和に還った2つの部落がある。その1つは『日の丸部落』とといわれる盛家橋部落で・・・・約400名の村民は、我が軍の保護によって敗残支那兵の略奪をまぬがれ、意を安んじて土に親しんでいる桃源郷」とある。
ここは綿作が盛んで、組写真には日本兵がつきそい老若そろって秋日和のなかで民謡を歌いながら綿をつみ取るシーンも入っている。問題の「連行写真」(写真(3)−3)には我が兵士に護られて野良仕事より部落へかえる日の丸部落の女子供の群」というキャプションがついていた。
それにしても、写真のキャプションを正反対に書き換えた犯人は誰なのか。私は熊崎カメラマンに代わって追跡してみようと思いたった。まずはD((3)−2)の写真を使った岩波新書の担当編集者に電話で問い合わせた。やりとりの要旨を次に紹介しよう。
問 私が買った新書の写真にハレーションがあるが。
答 どの本も同じで、印刷工程上のミスではない。
問 何からとったのか。
答 著者の笠原氏が中国語の原本からコピーしたものを届けてきたので複写した。キャプションも原本通りだ。
問 アサヒグラフに元写真があるのだが―――
答 当社には責任はない。疑問があれば著者に聞け。
問 通常は扉写\xBF
アイリス捏造本の背後に中国共産党・新華社・人民日報プロパガンダだけでなく 朝日新聞社・岩波書店の姿が見えるのも うなずけます。
http://www.history.gr.jp/nanking/
そこで『レイプ・オブ・ナンキン』の写真を検証してみると。。。。。。(中略)
たとえば生首が10個前後並んでいる写真は(組写真の1つ)は、チャンの本には「南京の犠牲者」と説明してあるが、1930年に中国官憲によって処刑された匪賊の首であることが判明している。
結論から言えば11枚の写真は「やらせ」「すりかえ」「合成」が多く、1937年の南京周辺と推定出来るものは1枚もないと断言できる。そうはいっても、断言の根拠を知りたいと言う人もいようから、2、3の写真について説明を加えよう。
慰安婦強制連行の怪
写真 (3)−1
(アイリス・チャン本)
写真 (3)−2
(左のハレーションに注目)
写真 (3)−3
(アサヒグラフ版)
だが、写真(3)シリーズともなると、(1)や(2)に比べて一段と悪質の度を増す。幸い手のこんだトリックの過程が明らかになったので、手口分析をやってみよう。まずアイリス・チャン本(A)の写真((3)−1)に付してある説明文は次のとおり。
「日本軍は何千人もの女性を狩りたてた。大多数が集団レイプされるか、軍用慰安婦にされた(出所は中国の軍事委員会政治部)」
私の知る限りで同じ写真を掲載している文献を列挙しておく。
B 『鉄証如山』(台北、1982)
C 『侵華日軍暴行総録』(北京、1995)
D 笠原十九司『南京事件』(岩波新書、1997)
説明文の主旨はいずれもAと似たりよったりだが、出所を明示しているのはD(写真(3)−2)だけなので、次にそのキャプションをかかげる。
「日本兵に拉致される江南地方の中国人女性たち。国民政府軍事委員会政治部『日寇暴行実録』(1938年刊行)所載」(第三章扉)
どうやらAとDは出所が同じらしいと見当はつくが、疑問に思ったのは写真のトリミングや鮮明度に微妙な格差が生じていることだった。あとで説明する『アサヒグラフ』版の原写真と比較すると、B、Dはトリミングが同じだが、AとCは右端の荷車を引くオバさんをカットしている。鮮明度が全般的に落ちているのは当然だろうが、気になるのは先頭の女児につづく妙齢らしい女性のあたりがDだけハレーションを起こしたようにぼやけている。
ともあれ、慰安婦の強制連行写真にしては、のんびりとした風情で、赤ん坊を抱いた女性もいれば、子供が少なくとも4人、にこにこ顔の少年も1人見える。兵隊は行軍時と同様に肩に鉄砲をかついでいるが、銃剣はつけていない。
久しく疑問を抱いていたこの写真が、実は写真週刊誌『アサヒグラフ』の1937年11月10日号に掲載され、翌年3月に朝日新聞社から発売された『支那事変写真全輯−中−上海戦線』にも転職されていることに気がついたのは、今年の1月になってであった。
問題の写真、「硝煙下の桃源郷−江南の『日の丸部落』」の標題で、熊崎玉樹特派員が撮影した4枚の組写真のうちの1枚である。
全体の説明文を見ると、日付は10月14日、舞台は上海郊外の宝山県で「我が軍の庇護によって平和に還った2つの部落がある。その1つは『日の丸部落』とといわれる盛家橋部落で・・・・約400名の村民は、我が軍の保護によって敗残支那兵の略奪をまぬがれ、意を安んじて土に親しんでいる桃源郷」とある。
ここは綿作が盛んで、組写真には日本兵がつきそい老若そろって秋日和のなかで民謡を歌いながら綿をつみ取るシーンも入っている。問題の「連行写真」(写真(3)−3)には我が兵士に護られて野良仕事より部落へかえる日の丸部落の女子供の群」というキャプションがついていた。
それにしても、写真のキャプションを正反対に書き換えた犯人は誰なのか。私は熊崎カメラマンに代わって追跡してみようと思いたった。まずはD((3)−2)の写真を使った岩波新書の担当編集者に電話で問い合わせた。やりとりの要旨を次に紹介しよう。
問 私が買った新書の写真にハレーションがあるが。
答 どの本も同じで、印刷工程上のミスではない。
問 何からとったのか。
答 著者の笠原氏が中国語の原本からコピーしたものを届けてきたので複写した。キャプションも原本通りだ。
問 アサヒグラフに元写真があるのだが―――
答 当社には責任はない。疑問があれば著者に聞け。
問 通常は扉写\xBF
これは メッセージ 1 (messages_admin さん)への返信です.
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