日中関係

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南京の治安

投稿者: trustno1_1 投稿日時: 2004/08/07 04:48 投稿番号: [33885 / 196466]
上の写真は「中国無名戦士の墓」の墓標を書いている姿。
「抗日の世迷い言に乗せられたとは言え、敵兵も又、華と散ったのである、戦野に亡骸を横たえ風雨にさらされた哀れな彼ら、が勇士達の目には大和魂の涙が浮かぶ、無名戦士達よ眠れ!白木にすべる筆の運びも彼らを思えばこそ暫し渋る優しき心の墓標だ。」とある。(朝日新聞・昭和12・12・24)

  下の写真は、南京悒江門近くの墓標で「中国人戦没者慰霊祭」を日中共同で厳修している情景である。
  上海派遣軍参謀副長上村利通大佐の陣中日誌(昭和13年2月8日)には次のように記述されている。(「南京戦史資料集」299ページ)

  「悒江門脇ニ於テ支那軍戦死者ノ慰霊祭ヲ取リ行フ《敵ニハアレド亡キガラニ花ヲ手向ケタル武士道ノ情ケナリ》自治委員会ノ一行、日支ノ僧侶参列ス。」
  自治委員会というのは、南京陥落わずか3週間後の1月3日に結成され、残留市民3千数百人が旗行列と爆竹で祝福した。中国人自身による自治委員会のことである。

  松井軍司令官は12月18日の戦没者慰霊祭に、中国軍の戦没者も・・・と発案したが実現はされなかった。
帰還後もその念願消えず、熱海市伊豆山に観音堂建立を発願され、日中両戦没者を祭祀して、自らその堂守となった。
観音像は、日中両軍が彼我の戦血に染まった大場鎮や南京の土を取り寄せて、陶工、加藤春二氏(のち人間国宝)に依頼して観音像を作り、興亜観音と名ずけた。堂宇も立派に建立した。
  大将の「興亜観音縁起」にはこうある。

  「支那事変は友隣相撃ちて莫大の生命を喪滅す、実に千載の悲惨事なり、然りと雖も(いえども)   是れ所謂(いわゆる)東亜民族救済の聖戦なり   惟(おもうに)此の犠牲たるや身を殺して大慈(たいじ)を布く無畏の勇慈悲の行   真に興亜の礎(いしずえ)たらんとする意に出でたるものなり(中略)此の功徳を以て永く怨親平等(おんしんびょうどう)に回向(えこう)し諸人と倶(とも)に彼の観音力を念じ東亜の大光明を仰がん事を祈る。」

*************
南京市民三千数百人の旗行列

南京自治委員会の成立を祝福する市民の旗行列

  南京自治委員会の準備会は、南京陥落後わずか10日目の12月23日に開かれ、委員長に陶錫山が選出された。
  陶委員長は即日声明を発表したが、それによると
  (1)日本軍の入城により治安は回復した。
  (2)我々は速やかな南京の復興と民生の安定を願う。
  (3)そのためには抗日・容共の不良分子を一掃して、日本との連繁の下に復興を図る、と述べている。
  すなわち国際委員会の管理から離れて、南京を市民の自治制の下におくことがその狙いだという。
  自治委員会の結成式は1月3日である。陥落から丁度3週間目だ。
  安全区に避難していた三千余の市民が日の丸と五色旗をかざしてそれを祝福したのである。
  「五色旗」とは北支の糞東政権が採択した新しい支那の国旗である。
  12月24日の読売新聞は、三面中央に5段ヌキ通し見出しで「南京に自治委員会/明朗政権・近く成立式」と大書きし、委員長および副委員長2名、委員8名の氏名と、陶委員長の声明全文を報道し、南京の治安回復状態を伝えている。
  さらに、1月3日の南京市民三千余名の旗行列を取材した同盟通信によると、「祝成立南京自治委員会」の横断幕を先頭に、市民は手に手に日の丸の旗や五色旗をかざして「万歳!万歳!」と連呼して、中山路の式典会場の鼓楼を取りまき、子供たちは爆竹を鳴らして喜んだと、南京の全市民をあげての歓喜・感動のもようを伝えている。
 
虐殺の街にこんな現象など絶対に起きない。
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