「倭」
投稿者: T_Ohtaguro 投稿日時: 2003/12/21 23:59 投稿番号: [30197 / 196466]
≫≫「倭」も「和」も同じ「わ」ですが、漢字の「倭」には、
≫≫蔑む意味も含むから、わざわざ「和」に改称したのではないですか?
≫>あなたのご推測に過ぎないと思います。
>改称するならわざわざ同音の文字に置き換えることはしないはずです。
>しかもその内容が私の考えに沿ったものということは、
>私の考えをお認めになったという意味で理解していいのですか?
「倭」から「和」に変えたのは事実ですね。
「倭」が侮蔑である事も認めている。
同じ発音の「和」に変えた理由は書かれていませんが、
発音が同じものに変えたのであるから、
問題は「発音」にはなく、「文字」にあったと考えられます。
まして、国内では「わ」ではなく、「やまと」と呼んでいた。
発音も文字も、中国語の「倭」とは異なったものになっているのです。
__________________
>この論理のつながり、私には分かりません。
最初の投稿で書いた事が前提となっています。
≫【古代中国では】サンスクリットのCina は【震旦】と漢訳された。
≫Cina(震旦)は外国人(最初はインド人)による古代中国の呼称として用いられたが、
≫【中国人は一般にそのようには使わない。】
【震旦】=【秦】は↑から判断できます。
Cineの他の意味【絹/辺鄙な〜/チャン(羌)族】と比較して、
「支那」「脂那」「至那」のうち、「支那」が【絹/チャン(羌)族】の意味を表しているでしょうか?
どう見ても、【辺鄙な〜】としか解釈できません。
__________________
>「侮辱」に支那という国を支那と呼ぶことは含まれません。
当然でしょ。
【支那と呼ぶ行為】が、直接、【侮辱罪】にあたるとは書いていませんから。
相手を見下し、言語や動作などによってはずかしい思いをさせること。を法で規制する考え方と、
相手が【使用してほしくないと表明した呼称で呼ぶ行為】を否定する考え方は同じです。
「支那」と呼ばない旨の要請に対して、「支那」と呼び続ける行為は、
相手の意志を尊重していないのは明らかであり、
相手を見下した言語や動作による表現であり、
「要請」は侮辱されたと感じた事の意思表明です。
≫≫蔑む意味も含むから、わざわざ「和」に改称したのではないですか?
≫>あなたのご推測に過ぎないと思います。
>改称するならわざわざ同音の文字に置き換えることはしないはずです。
>しかもその内容が私の考えに沿ったものということは、
>私の考えをお認めになったという意味で理解していいのですか?
「倭」から「和」に変えたのは事実ですね。
「倭」が侮蔑である事も認めている。
同じ発音の「和」に変えた理由は書かれていませんが、
発音が同じものに変えたのであるから、
問題は「発音」にはなく、「文字」にあったと考えられます。
まして、国内では「わ」ではなく、「やまと」と呼んでいた。
発音も文字も、中国語の「倭」とは異なったものになっているのです。
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>この論理のつながり、私には分かりません。
最初の投稿で書いた事が前提となっています。
≫【古代中国では】サンスクリットのCina は【震旦】と漢訳された。
≫Cina(震旦)は外国人(最初はインド人)による古代中国の呼称として用いられたが、
≫【中国人は一般にそのようには使わない。】
【震旦】=【秦】は↑から判断できます。
Cineの他の意味【絹/辺鄙な〜/チャン(羌)族】と比較して、
「支那」「脂那」「至那」のうち、「支那」が【絹/チャン(羌)族】の意味を表しているでしょうか?
どう見ても、【辺鄙な〜】としか解釈できません。
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>「侮辱」に支那という国を支那と呼ぶことは含まれません。
当然でしょ。
【支那と呼ぶ行為】が、直接、【侮辱罪】にあたるとは書いていませんから。
相手を見下し、言語や動作などによってはずかしい思いをさせること。を法で規制する考え方と、
相手が【使用してほしくないと表明した呼称で呼ぶ行為】を否定する考え方は同じです。
「支那」と呼ばない旨の要請に対して、「支那」と呼び続ける行為は、
相手の意志を尊重していないのは明らかであり、
相手を見下した言語や動作による表現であり、
「要請」は侮辱されたと感じた事の意思表明です。
これは メッセージ 30187 (toraneko_yh さん)への返信です.
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