日本兵陣中日記(2)
投稿者: wadatumi_voice21 投稿日時: 2013/01/29 22:16 投稿番号: [196118 / 196466]
もうすこし、日本軍兵士の陣中日記を
引用してみよう。
次は、歩兵第65連隊第1中隊・編成 上等兵の日記だ。
十二月十三日 晴
午前六時宿営出発。 余(途)中数十名の敗残兵を
射殺し 十時銃胞(砲)声の中に 入りたるの感あり、
銃胞(砲)声を近くに聞く事始めての我等は、
胸の度きをおぼゆる。いつか一ヶ中隊だけ独立となり、
且、一小隊わ将校斥候に出て居らず、此の附近、
道には地雷を二十米をき位にあり、山わざんごうあり、
鉄条網ありて厳強なる陣地の如し。
午后三時頃はからず烏龍山砲台なるを知り占領。
砲台は主として揚子江に面し陸にはとちかを築き
陣地の補強工事中なり。
十二月十四日 晴
警備。 敗残兵掃蕩のため中隊長准尉一小隊の一分隊と
我四分隊とで砲台に行く。 幾名とも知れず射殺す。
十二月十五日 晴
敗残兵数百降伏し来るとの報に一同出動、約二千米。
山中に小銃約百丁、チェック四、銃重機二其の他多数の
弾薬を置き逃走。右武器を前日占領の自動車にて中隊に
運ぶ。
(略)
十二月十七日 晴
警備。(略)毎日敗残兵の銃殺幾名とも知れず。
毎日、敗残兵を 銃殺した。 その数は、「幾名とも知れず」
という記録だ。
次は、歩兵第65連隊第4中隊・第3次補充 少尉の日記だ。
十二月十五日
一昨日来の疲れのため下士官以下に警戒をたのみ睡眠す
本日も出発の様子なく警戒に任ず。中隊は衛兵を多数出し
又自分は巡察将校を命ぜられ全く警戒のため非常に疲労す。
夕方より一部食事をやる、兵へも食糧配給出来ざる様にて
捕慮兵の給食は勿論容易なるものでない。
十二月十六日
警戒の厳重は益々加はりそれでも(午)前十時に
第二中隊と衛兵を交代し一安心す、しかし其れも
疎の間で午食事中俄に火災起り
非常なる騒ぎとなり三分の一程延焼す、午后三時
大隊は最後の取るべき手段を決し、捕慮兵約三千を
揚子江岸に引率し之を射殺す、
戦場ならでは出来ず又見れぬ 光景である。
参考資料:『南京大虐殺を記録した皇軍兵士たち』
小野賢二ほか編、大月書店(1996年3月発行)
次は、歩兵第65連隊第1中隊・編成 上等兵の日記だ。
十二月十三日 晴
午前六時宿営出発。 余(途)中数十名の敗残兵を
射殺し 十時銃胞(砲)声の中に 入りたるの感あり、
銃胞(砲)声を近くに聞く事始めての我等は、
胸の度きをおぼゆる。いつか一ヶ中隊だけ独立となり、
且、一小隊わ将校斥候に出て居らず、此の附近、
道には地雷を二十米をき位にあり、山わざんごうあり、
鉄条網ありて厳強なる陣地の如し。
午后三時頃はからず烏龍山砲台なるを知り占領。
砲台は主として揚子江に面し陸にはとちかを築き
陣地の補強工事中なり。
十二月十四日 晴
警備。 敗残兵掃蕩のため中隊長准尉一小隊の一分隊と
我四分隊とで砲台に行く。 幾名とも知れず射殺す。
十二月十五日 晴
敗残兵数百降伏し来るとの報に一同出動、約二千米。
山中に小銃約百丁、チェック四、銃重機二其の他多数の
弾薬を置き逃走。右武器を前日占領の自動車にて中隊に
運ぶ。
(略)
十二月十七日 晴
警備。(略)毎日敗残兵の銃殺幾名とも知れず。
毎日、敗残兵を 銃殺した。 その数は、「幾名とも知れず」
という記録だ。
次は、歩兵第65連隊第4中隊・第3次補充 少尉の日記だ。
十二月十五日
一昨日来の疲れのため下士官以下に警戒をたのみ睡眠す
本日も出発の様子なく警戒に任ず。中隊は衛兵を多数出し
又自分は巡察将校を命ぜられ全く警戒のため非常に疲労す。
夕方より一部食事をやる、兵へも食糧配給出来ざる様にて
捕慮兵の給食は勿論容易なるものでない。
十二月十六日
警戒の厳重は益々加はりそれでも(午)前十時に
第二中隊と衛兵を交代し一安心す、しかし其れも
疎の間で午食事中俄に火災起り
非常なる騒ぎとなり三分の一程延焼す、午后三時
大隊は最後の取るべき手段を決し、捕慮兵約三千を
揚子江岸に引率し之を射殺す、
戦場ならでは出来ず又見れぬ 光景である。
参考資料:『南京大虐殺を記録した皇軍兵士たち』
小野賢二ほか編、大月書店(1996年3月発行)
これは メッセージ 196117 (wad**umi_vo**e21 さん)への返信です.
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