日本兵陣中日記(1)
投稿者: wadatumi_voice21 投稿日時: 2013/01/29 22:16 投稿番号: [196117 / 196466]
盛んに「虐殺事件マボロシ論」
を振り回す
ヤカラの中には、
何十万人もの捕虜を殺害することなど 物理的に不可能だから
大虐殺があったという証言はウソだ、などと 大マジメな顔で
決めつける者もいる。
じつに正直に、みずから 見識の乏しさを 披瀝するものだ。
大量虐殺は、南京城陥落直後の数日間に 限ったことではなく、
長期にわたる攻防戦と 占領後の掃蕩作戦の中で 発生した
事件であることを理解すべきだ。
そして、一部の無法者が犯した行為ではなく、数万にのぼる
武装兵士が、組織的に 実行したのだ。
近代兵装の軍隊が 何万の生命を奪うことは、いたって容易だ。
その実態は、夥しい証言と 記事により 明らかになっている。
一例として 南京戦にあたった将校の陣中日記が現存している。
以下は、歩兵第65連隊第1大隊に所属した 上等兵の日記だ。
◇十二月十四日
朝四時出発。三十分位にて捕虜千名、十時頃二千名位有り
計一万五千名位 。
◇十二月十五日
今日一日捕虜多く来たり、いそがしい。
◇十二月十六日
今日南京城に物資徴発に行く。
捕虜の廠舎失火す、二千五百名殺す。
◇十二月十七日
今日は南京入城なり(一部分)。
俺等は今日も捕虜の始末だ。
一万五千名、今日は山で。 大隊で負傷、戦死有り。
第65連隊の 第1大隊だけで、しかも 2日間だけで、
捕虜を 1万7500名も 殺害した という記録だ。
日本軍全体で、捕虜の処理に 何日間もかけたとすれば、
殺害された捕虜の総数は、想像を絶する。
次は、歩兵第65連隊第1中隊・編成 上等兵の日記だ。
拾二月拾七日
(略)午后一時から 南京入場式。
夕方は 大隊と一所の処で 四中隊で 一泊した。
その夜は 敵のほりょ二万人ばかり揚子江にて銃殺した。
拾二月拾八日
大隊本部に行った、そして午后 銃殺場所見学した、
実にひどいざん場でした。
やはり、戦闘によって ではなく、「捕虜」 にした敵兵を
大量に 銃殺処分にした ということを 記録している。
降伏した敵兵、捕虜を 武装解除後に 殺害することは
違法行為であり、それ以前に 人道上許されない蛮行だ。
参考資料:『南京戦史資料集2』南京戦史編集委員会編
(増補改訂版 平成5年12月8日)
何十万人もの捕虜を殺害することなど 物理的に不可能だから
大虐殺があったという証言はウソだ、などと 大マジメな顔で
決めつける者もいる。
じつに正直に、みずから 見識の乏しさを 披瀝するものだ。
大量虐殺は、南京城陥落直後の数日間に 限ったことではなく、
長期にわたる攻防戦と 占領後の掃蕩作戦の中で 発生した
事件であることを理解すべきだ。
そして、一部の無法者が犯した行為ではなく、数万にのぼる
武装兵士が、組織的に 実行したのだ。
近代兵装の軍隊が 何万の生命を奪うことは、いたって容易だ。
その実態は、夥しい証言と 記事により 明らかになっている。
一例として 南京戦にあたった将校の陣中日記が現存している。
以下は、歩兵第65連隊第1大隊に所属した 上等兵の日記だ。
◇十二月十四日
朝四時出発。三十分位にて捕虜千名、十時頃二千名位有り
計一万五千名位 。
◇十二月十五日
今日一日捕虜多く来たり、いそがしい。
◇十二月十六日
今日南京城に物資徴発に行く。
捕虜の廠舎失火す、二千五百名殺す。
◇十二月十七日
今日は南京入城なり(一部分)。
俺等は今日も捕虜の始末だ。
一万五千名、今日は山で。 大隊で負傷、戦死有り。
第65連隊の 第1大隊だけで、しかも 2日間だけで、
捕虜を 1万7500名も 殺害した という記録だ。
日本軍全体で、捕虜の処理に 何日間もかけたとすれば、
殺害された捕虜の総数は、想像を絶する。
次は、歩兵第65連隊第1中隊・編成 上等兵の日記だ。
拾二月拾七日
(略)午后一時から 南京入場式。
夕方は 大隊と一所の処で 四中隊で 一泊した。
その夜は 敵のほりょ二万人ばかり揚子江にて銃殺した。
拾二月拾八日
大隊本部に行った、そして午后 銃殺場所見学した、
実にひどいざん場でした。
やはり、戦闘によって ではなく、「捕虜」 にした敵兵を
大量に 銃殺処分にした ということを 記録している。
降伏した敵兵、捕虜を 武装解除後に 殺害することは
違法行為であり、それ以前に 人道上許されない蛮行だ。
参考資料:『南京戦史資料集2』南京戦史編集委員会編
(増補改訂版 平成5年12月8日)
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1143582/ffccf4x78_1/196117.html