日中関係

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ルーズベルトの対日観の変化。

投稿者: sintyou7 投稿日時: 2012/12/27 21:50 投稿番号: [194844 / 196466]
ナイス答えです。この様なやりとりを通じて、先の大戦の過ちと、それを繰り返さない為にも、過去を振り返る事はとても大事だと思います。

これから先は、罵倒のやりとりでは無いのでご安心下さい。

ちょっと、不愉快な事実を述べますが落ち着いて聞いて下さい。

まず、日中戦争でしたが、これは全く割に合わない戦争でした。
別に中国に大した資源がある訳でも無く、市場としても当時は極貧でしたし、しかもドイツやアメリカまでもが蒋介石を応援していましたから戦略的目標としては有害無益でした。

次に、ルーズベルトの対日観の変化を見てみます。

ルーズベルトが1913〜20年にかけて31〜38才という若さで7年以上もW・ウイルソン政権下の海軍次官でありました。
この間ルーズベルトは第一次世界大戦に対し

       「勝者が領土や賠償金をとるべきではない」
とするW・ウイルソンの「勝利なき講和」(1917年1月演説)に共感し、1918年4月にかけて対独宣戦してから海軍次官として対独潜水艦作戦に関与し、ベルサイユ講和会議が連合軍諸国の帝国主義的分け前を求めての国家エゴによって歪曲されていくのを深い失望をもって見つめていました。

しかも、日本が山東半島におけるドイツの租借権その他の利権の継承を主張して譲らなかった1幕も当然注視していました。

第一次世界大戦におけるヨーロッパの混乱に乗じ日本が1915年の「対華21か条の要求」をもって中国へ触手を伸ばすプロセスを彼はじっと見つめていた

さらに1917年ロシア革命が起り赤軍に追われた難民救済を目的としてシベリア出兵が行われたがすべての国が引き上げたのちも日本だけが最後まで兵を引かなかった推移を彼はワシントンから注視していました。

しかし、彼は「原 敬内閣」を評価しており、海軍大臣の加藤友三郎が全権の一員として会議に参加していました。

1928年【日本はもはや悪魔ではなく日本も国際社会の一員になりつつあり(ワシントン国際条約を受け入れた)日本の野望に対する米国の疑問も解消されるべきだ】と述べています。
この時代の日本の自制と国際協調路線を評価し対日観を好転させていた訳です。

ところが、スペイン内乱を機に独伊ローマベルリン枢軸結成され米国の潜在的不安を高めているときに日本が日独防共協定(1936/11)でヒットラーへの傾斜を示し日中戦争(支那事変1937/7)へ踏み込むとルーズベルトの日本への怒りと憎悪は急速に高まります。

1937/1月「シカゴ演説」
彼はナチとファシストと日本を同等の「伝染病」として扱い 世界平和のために「隔離」する必要を強調し始めた

この時点でルーズベルトは日本に対して一切の妥協・譲歩の気持ちを失っていた。
しかし、当時の外交関係はもっと複雑でした。

彼は、欧米各国によるアジア支配を快く思っていませんでした。
だから、大戦中、日本軍を駆逐した後はどんどんアジア諸国を独立させていきました。(フィリピンも1944年に独立させる事を約束しています)

(しかし、彼の死後は欧米はまたしてもアジアの植民地支配を復活させようとしたのは事実ですが、一旦独立したアジア諸国は激しく抵抗します)


続く。
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