日中関係

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Re: 母夜叉runrun72の嘘

投稿者: sintyou7 投稿日時: 2012/06/25 19:36 投稿番号: [190075 / 196466]
<日本を統一した秀吉は、次に中国大陸を手に入れたいと考えるようになりました。

そこで、明へ攻め込むにあたって、朝鮮に道案内をさせるべく、対馬の宗氏を介して交渉しますが、「何を馬鹿なことを」と拒絶。


激怒した秀吉は、肥前(佐賀県)に名護屋城を築城させて朝鮮侵略の拠点とし、秀吉子飼いの武将である加藤清正、小西行長を中心とし15万人以上の軍勢を朝鮮半島に送り込みました。

 

最初は、戦国時代を勝ち抜いてきた秀吉の軍勢が圧倒的な強さを発揮し、さらに朝鮮政府に不満を持つ人々の協力もあって、漢城(現在のソウル)、平壌を攻略し、明との国境近くまで軍を進めます。

 
しかし明から朝鮮へ援軍が到着し、さらに李舜臣(イ・スンシン   1545〜98年)率いる朝鮮水軍が海上を支配するようになると、補給が届きにくくなります

(ただし、完全封鎖に成功したわけではなく、しばしば李舜臣も戦いには負けていますし、むしろ補給面で困ったのは九州〜釜山の海上ルートではなく、朝鮮半島内の豊臣軍だったとも言われています)。


普通、補給を受けるのに有利な海岸沿いを北上していくのが常識なんですがね〜〜〜
バカには理解は難しいと思うが、ここで教えてあげよう。


<さらに次第に民衆からの抵抗にも遭い、平壌で小西行長軍が明の軍隊に敗北。

 
そのため、小西行長たちは明との講和交渉に入ります(もっとも、肝心の朝鮮は無視されていたようで・・・)。

 
ところが秀吉は、まさか負けて講和交渉しているとは思っておらず、「朝鮮南部4道の割譲」「勘合貿易の復活」などを講和条件として提示。これに対し、明は「豊臣秀吉を日本国王に任命する」としたため、秀吉は「ワシの要求が何一つ受け入れられていないではないか!」と激怒。

 
そこで1597年、14万人の軍勢で再び朝鮮半島に侵略を開始します。
 

しかし朝鮮半島南部で、朝鮮軍と明軍の激しい抵抗に遭い、そして秀吉が翌年8月に亡くなったことから、ついに撤退しました(ちなみに、この日本軍の撤退戦で李舜臣は戦死しています)。

このために朝鮮半島は人口減、耕地の破壊など大いに疲弊し、明も多額の財政支出で国家が傾き滅亡への要因の1つとなります。

 
さらに豊臣政権も各大名が疲弊する一方、
「関東の統治に手一杯で出陣する余裕がない」
 
と、うまく朝鮮に軍を派遣せずに済んだ徳川家康が勢力を保持するなど、今後の豊臣政権に暗い影を落としました。<<


バカの思いつきが、明の衰退、朝鮮の破壊、そして自らを滅ぼしたというお話だったとさ。

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