差別は正しい
投稿者: nihao_aq_jp 投稿日時: 2011/02/09 11:01 投稿番号: [186557 / 196466]
>私たちが何かの論争をするとき、言葉の定義は統一して置かなくては論争もかみ合いません。
夢更紗さんもご同意いただいたように、差別は、区別の方法です。差別は人間の上下を区別することであり、だから時には良くて時には悪いのではなくいつも悪いのです。<
言葉の概念など統一できるはずもない。日本の小さな小さな村社会ならそれもあり得ようが、世界に出るなら言葉は必ずかみ合わない。
言葉がかみ合わないと云うより、言葉の背景にある文化、習俗、価値観が異なるのだから出てくる言葉はそれぞれに意味が違うのだ。
その道理をこのワシが何回言って聞かせても、狭い世界に暮らす田舎者は理解できない。
我らは人間社会に暮らしているが、人間社会は差別の中にあるのだ。
差別は当然であり、良いも悪いもない。
意識が浅薄で、突き詰めて考える習慣のない者は「差別された〜・・許せない」などと言って怒り狂うが、本当は差別が許せないのではないだろう。
許せないのは「不当な差別」なのであり、「差別」ではない。
学校の先生が教室で子供たちに何か質問する。ハイ、ハイ、ハ〜イと10人の子供が元気に手を挙げる。先生はA君に当てて答えさせた・・とさ。
ほら、ご覧なさい。先生はここでもう差別している。
先生は何故にA君を選び、他の9人を無視したか。差別しているではないか。
現実に、所謂「モンスター・ペアレンツ」はこんな理由で教師を訴えるのだ。「うちの子が差別を受けた」とか言って息巻くのだ。
「差別」と云う言葉が出されると人は大概恐れ入る。常識で「差別は悪」と思い込んでいるし、自分は差別した意識がないから差別に慣れていない。
言葉は正確でなければならない。
差別は悪くないし、差別は正しいのである。
許せないのは「不当な差別」である。
性別、人種、門地、年齢、出身などを理由にした差別は不当であり、許されない。
男に生まれるか女に生まれるか、金持ちの家に生まれるか貧乏家庭に生まれるか、どの国に生まれるか・・などはその人が選択できないのだし、努力で克服できない宿命。
だから、これらを理由にするのは不当と言われる。
正しくは・・差別が問題なのではなく、不当かどうかが問題なのだ。
tokaちゃんは、もっとよく考えなさい。
夢更紗さんもご同意いただいたように、差別は、区別の方法です。差別は人間の上下を区別することであり、だから時には良くて時には悪いのではなくいつも悪いのです。<
言葉の概念など統一できるはずもない。日本の小さな小さな村社会ならそれもあり得ようが、世界に出るなら言葉は必ずかみ合わない。
言葉がかみ合わないと云うより、言葉の背景にある文化、習俗、価値観が異なるのだから出てくる言葉はそれぞれに意味が違うのだ。
その道理をこのワシが何回言って聞かせても、狭い世界に暮らす田舎者は理解できない。
我らは人間社会に暮らしているが、人間社会は差別の中にあるのだ。
差別は当然であり、良いも悪いもない。
意識が浅薄で、突き詰めて考える習慣のない者は「差別された〜・・許せない」などと言って怒り狂うが、本当は差別が許せないのではないだろう。
許せないのは「不当な差別」なのであり、「差別」ではない。
学校の先生が教室で子供たちに何か質問する。ハイ、ハイ、ハ〜イと10人の子供が元気に手を挙げる。先生はA君に当てて答えさせた・・とさ。
ほら、ご覧なさい。先生はここでもう差別している。
先生は何故にA君を選び、他の9人を無視したか。差別しているではないか。
現実に、所謂「モンスター・ペアレンツ」はこんな理由で教師を訴えるのだ。「うちの子が差別を受けた」とか言って息巻くのだ。
「差別」と云う言葉が出されると人は大概恐れ入る。常識で「差別は悪」と思い込んでいるし、自分は差別した意識がないから差別に慣れていない。
言葉は正確でなければならない。
差別は悪くないし、差別は正しいのである。
許せないのは「不当な差別」である。
性別、人種、門地、年齢、出身などを理由にした差別は不当であり、許されない。
男に生まれるか女に生まれるか、金持ちの家に生まれるか貧乏家庭に生まれるか、どの国に生まれるか・・などはその人が選択できないのだし、努力で克服できない宿命。
だから、これらを理由にするのは不当と言われる。
正しくは・・差別が問題なのではなく、不当かどうかが問題なのだ。
tokaちゃんは、もっとよく考えなさい。
これは メッセージ 186553 (riseidekanngaeru さん)への返信です.
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