Re: 自然科学とゲーム理論。
投稿者: maximirion 投稿日時: 2011/01/12 15:48 投稿番号: [185933 / 196466]
<sintyou7>
<どんな生活環境であっても、精神性が伴えば牢獄ではなく、伴わなければ牢獄です。
また、あなたの書いた物理的現象を要件としただけでは、長生きしません。
少々の変色や不規則な生活習慣と怠惰があっても、精神的な充足がその日常の大半を占めれば長生きします。
逆に、どんなに規則正しく適正な食事をし、睡眠と労働を適正にとっても、精神的充足が日常に殆どないのであれば、短命に終わります。
どんなに節制した生活を送って、どれだけ適正な労働と睡眠時間の中で生活できても、どれの人生は短い。
逆に、多少飽食であっても不規則で怠惰な生活が日常の大半であっても王様の方が長生きする。<<
残念ながら、ここで貴方の言っている事は全て間違いです。間違いというか、
全て事実に反しています。貴方の願望を聞いても、私にはどうしようもありません。
どちらが事実に反し、願望を主張しているのかはもう問いません。
無駄なようですから。
<sintyou7>
<そうやって、思い上がって勘違いした弱肉強食を繰り広げた文明は、どう転んでも自ら砂漠化して滅んでいきます。
自然を制すると言いながら、水を制しない愚かな先人には学ばないでください。<<
言っている事が、しっちゃかめっちゃかです。
人間文明が自殺するのは、自然の定理ですか?
人間文明が繁栄する為には、水を制しなければならないのですよ?
人間が自殺するのではなく、そうとは気付かなかったから自滅するんですよ。
世間では、そのことを比喩的に「自殺」と呼んでたりするだけです。
そうとは気付かずに何故自滅するのかというのは、人間が自然から与えられた機能を自己制御できなくなるからですね。
人間に限らず、制御不能になって暴走し始める生命体が害的な自然の力に自ら飲まれて滅ぶというのは、「定理」ではなく「摂理」と言われてきたのですよ。
水を制しなければ、人間は滅びます。
それは自然を制しようとして適うことではないのです。
水を制する為には、自然の「摂理」を利用して人間にその恩恵を受けられるようにするということです。
実務的に「摂理」を利用するには、人間に理解できるようにしなくてはなりません。
その為に、人間は自然を観察と洞察した結果を考察探求して、「摂理」を確立した「定理」によって翻訳するという手段を考えたのですよ。
人間が監察と洞察した結果を考察探求して得るものだから、「定理」というものは新しい発見によって日々書き換えられる可能性を孕んで存在するのですよ。
であっても、実際の「摂理」と構築された「定理」との差分が、実用上支障を来さないと判断される間はそれを是として利用してきたわけです。
ところが、自分たちで作り上げる「定理」などの人為的な力を過信して、まだ「定理」として確立されていなかったり、理解しきれていないが感じることができている「摂理」を無視してしまった理という想い上がりがあると、そこに存在する差分が、気付いた時には取り返しがつかない或いは取り戻し難い不の現実となって人間の前に立ちはだかるわけです。
そうなった処で、自然の方は対して大きな影響を受けるとはならない。
人間より長いスパンのサイクルで循環及び展開する動物の総体や植物の総体或いは生命の総体も指して大きな影響を受けるとは言えない。
互恵の存在であることを維持し続ければ、如何様にでも発展し続けられるのですよ。
環境のキャパを超えて増殖すれば、増えすぎた分が淘汰されるか外の世界へ放出するかというのが「摂理」に適うということです。
<どんな生活環境であっても、精神性が伴えば牢獄ではなく、伴わなければ牢獄です。
また、あなたの書いた物理的現象を要件としただけでは、長生きしません。
少々の変色や不規則な生活習慣と怠惰があっても、精神的な充足がその日常の大半を占めれば長生きします。
逆に、どんなに規則正しく適正な食事をし、睡眠と労働を適正にとっても、精神的充足が日常に殆どないのであれば、短命に終わります。
どんなに節制した生活を送って、どれだけ適正な労働と睡眠時間の中で生活できても、どれの人生は短い。
逆に、多少飽食であっても不規則で怠惰な生活が日常の大半であっても王様の方が長生きする。<<
残念ながら、ここで貴方の言っている事は全て間違いです。間違いというか、
全て事実に反しています。貴方の願望を聞いても、私にはどうしようもありません。
どちらが事実に反し、願望を主張しているのかはもう問いません。
無駄なようですから。
<sintyou7>
<そうやって、思い上がって勘違いした弱肉強食を繰り広げた文明は、どう転んでも自ら砂漠化して滅んでいきます。
自然を制すると言いながら、水を制しない愚かな先人には学ばないでください。<<
言っている事が、しっちゃかめっちゃかです。
人間文明が自殺するのは、自然の定理ですか?
人間文明が繁栄する為には、水を制しなければならないのですよ?
人間が自殺するのではなく、そうとは気付かなかったから自滅するんですよ。
世間では、そのことを比喩的に「自殺」と呼んでたりするだけです。
そうとは気付かずに何故自滅するのかというのは、人間が自然から与えられた機能を自己制御できなくなるからですね。
人間に限らず、制御不能になって暴走し始める生命体が害的な自然の力に自ら飲まれて滅ぶというのは、「定理」ではなく「摂理」と言われてきたのですよ。
水を制しなければ、人間は滅びます。
それは自然を制しようとして適うことではないのです。
水を制する為には、自然の「摂理」を利用して人間にその恩恵を受けられるようにするということです。
実務的に「摂理」を利用するには、人間に理解できるようにしなくてはなりません。
その為に、人間は自然を観察と洞察した結果を考察探求して、「摂理」を確立した「定理」によって翻訳するという手段を考えたのですよ。
人間が監察と洞察した結果を考察探求して得るものだから、「定理」というものは新しい発見によって日々書き換えられる可能性を孕んで存在するのですよ。
であっても、実際の「摂理」と構築された「定理」との差分が、実用上支障を来さないと判断される間はそれを是として利用してきたわけです。
ところが、自分たちで作り上げる「定理」などの人為的な力を過信して、まだ「定理」として確立されていなかったり、理解しきれていないが感じることができている「摂理」を無視してしまった理という想い上がりがあると、そこに存在する差分が、気付いた時には取り返しがつかない或いは取り戻し難い不の現実となって人間の前に立ちはだかるわけです。
そうなった処で、自然の方は対して大きな影響を受けるとはならない。
人間より長いスパンのサイクルで循環及び展開する動物の総体や植物の総体或いは生命の総体も指して大きな影響を受けるとは言えない。
互恵の存在であることを維持し続ければ、如何様にでも発展し続けられるのですよ。
環境のキャパを超えて増殖すれば、増えすぎた分が淘汰されるか外の世界へ放出するかというのが「摂理」に適うということです。
これは メッセージ 185932 (maximirion さん)への返信です.
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