■中共のチベット侵略
投稿者: yume_sarasa1211 投稿日時: 2010/06/27 20:09 投稿番号: [183236 / 196466]
■中共のチベット侵略
民主党政権が続くと、日本もこのチベットの二の舞になります。
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投稿者 :
csm_tk
■1949年10月
毛沢東が「チベットを帝国主義者から開放する」と宣言
当時チベット在住の外国人はラジオ技師や登山家など8人ほどしか居なかった
■1950年3月
中共軍がチベットのカムへ侵攻開始
2ヶ月足らずで3万人の軍を送り込んだ。武力行使はせず、友好を装う「微笑外交」
■1950年10月
中共軍 東チベット侵攻開始
4万人の軍隊が西へ向かって侵攻開始する。チベットの組織的抵抗はなく、
反抗したチベット兵はその場で処刑される。
中共軍は「外国人の悪魔から解放しにきた。敵は青い目をした白人だ」と発表する。
■1950年11月
チベット政府が国連へ緊急アピールを送る
強大な中共軍と渡り合うかどうかで議会が紛糾するものの、
国際政治を知るシャカパ氏がインド経由で文書を国連へ送付する。
イギリスはこの問題を棚上げ、インドは関与しようとせず、チベットを落胆させる。
■1951年5月
中国共産党17箇条協定書偽造
・人民解放軍を中央チベットに受け入れる
・チベット軍は人民解放軍に編入される
・食料など購入輸送において人民解放軍を支援する
・中国共産党指導の下、独立の権利を有する
・仏教、信仰など風俗習慣は尊重する
・僧院は保護される
などが定められた協定書を用意し、署名を求める。
派遣されたアボ・ジグメは全権を委任されておらず国璽も持っていなかったが、
中共側が偽の国璽を作成し、アボ・ジグメに署名させる。
アボは3日後、署名したことを海外に宣言する。裏切り。
■1951年9月
首都ラサに中共軍進入
ダライ・ラマはブータン国境付近で亡命体制を取っていたが一旦首都に戻る。
その3日後、3000人の中共軍がラサに足を踏み入れ拡声器によるプロパガンダを始める。
■1953年12月
平和五原則協定
インドとチベットの交易を全て中国経由で行う事とされる経済統制が含まれる。
■1954年7月
中共 ダライ・ラマ北京へ招待
中共はラサからダライ・ラマを引き離す目的で招待し、
ダライ・ラマは中共に抗議する目的で招待を受ける。
つづく
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