Re: 文革論議
投稿者: riseidekanngaeru 投稿日時: 2010/06/22 17:41 投稿番号: [183143 / 196466]
訒小平は、その点大躍進政策の失敗頃から毛沢東に批判をし、そのために毛沢東とも対立した。むろん、そのために失脚し、三角帽をかぶせられ引き回されたのだ。
訒小平は共産主義を本格的に学んではいたが、その素地は若い頃フランスで学んだ物であり、やはり海外での見識を備えていた。毛沢東はソ連以外に海外に出たことが無く、彼なりに読書人では有ったが実際の共産主義を単に権力把握のための暴力革命の手段としていた。読書人、中国ではインテリ、とは言っても所詮中国式インテリであり、海外で学んだ周恩来や訒小平から見れば単なる残虐な野蛮人でしかなかったはずだ。
文革の失脚から返り咲いた後、訒小平は中国の政権を担うことになったが、共産主義のかけ声だけの自力再生では国は成り立たないこと知っていたから、改革開放政策を採り、これが今の中国経済の発展の源になっている。しかし、訒小平が知っていたかどうかは知らないが、中国人の本質からすれば、この改革解放は拝金主義に向かい、権力と金が直接結びつく構造をしっかりと作り上げた。顕と権力がない中国人は生きてゆけないのだ。
なお、訒小平が言ったという先に富める者が富んで、後から来る者を助ければよいと先富論は、当然先に富んだ者が後から来る者から搾取する形として残り、結局中国では政治指導者による利権獲得は当然視され、太子党も当然のことだと思われている。権力は金儲けの手段であり、富はますます偏在し、中国は猛烈な勢いで格差社会になりつつある。
日本と同じくらいのGDPでありながら、人口は10倍以上、しかし富裕層は日本の金持ちなど足元に及ばないほどの金持ちと言うことは、富の大半をほんの一部の中国人が独占していることを意味する。この拝金主義、格差、権力の腐敗が、中国の実態は例え経済大国になろうと、古代の野蛮国家と何ら進歩していないことを意味する。
また、訒小平が先富論を語ったとされる時期、すでに痴呆が進んでいて会話もままならなかったことから、おそらく中国のいつもの例で、改革解放の旗印、訒小平の言葉として記録されたのだろう。
訒小平が中国人をどれほど信頼していたかはもちろん疑義がある。中国人は暴力で押しつっけなければまとまらないことを訒小平は理解していたから、あの穏やかな風貌とは別に、弾圧などはきわめて冷酷に断行したと言われる。さもなければ単なる穏和なおじさんではカリスマ的指導力は発揮できない。その最終結論が四六天安門事件であり、結局は彼も中国の政治指導者であることを再認識させた。
この天安門事件が、今中国の騒ぎ立てる南京虐殺事件に大きく関わっているのだが、長くなったのでまた次の機会に。
訒小平は共産主義を本格的に学んではいたが、その素地は若い頃フランスで学んだ物であり、やはり海外での見識を備えていた。毛沢東はソ連以外に海外に出たことが無く、彼なりに読書人では有ったが実際の共産主義を単に権力把握のための暴力革命の手段としていた。読書人、中国ではインテリ、とは言っても所詮中国式インテリであり、海外で学んだ周恩来や訒小平から見れば単なる残虐な野蛮人でしかなかったはずだ。
文革の失脚から返り咲いた後、訒小平は中国の政権を担うことになったが、共産主義のかけ声だけの自力再生では国は成り立たないこと知っていたから、改革開放政策を採り、これが今の中国経済の発展の源になっている。しかし、訒小平が知っていたかどうかは知らないが、中国人の本質からすれば、この改革解放は拝金主義に向かい、権力と金が直接結びつく構造をしっかりと作り上げた。顕と権力がない中国人は生きてゆけないのだ。
なお、訒小平が言ったという先に富める者が富んで、後から来る者を助ければよいと先富論は、当然先に富んだ者が後から来る者から搾取する形として残り、結局中国では政治指導者による利権獲得は当然視され、太子党も当然のことだと思われている。権力は金儲けの手段であり、富はますます偏在し、中国は猛烈な勢いで格差社会になりつつある。
日本と同じくらいのGDPでありながら、人口は10倍以上、しかし富裕層は日本の金持ちなど足元に及ばないほどの金持ちと言うことは、富の大半をほんの一部の中国人が独占していることを意味する。この拝金主義、格差、権力の腐敗が、中国の実態は例え経済大国になろうと、古代の野蛮国家と何ら進歩していないことを意味する。
また、訒小平が先富論を語ったとされる時期、すでに痴呆が進んでいて会話もままならなかったことから、おそらく中国のいつもの例で、改革解放の旗印、訒小平の言葉として記録されたのだろう。
訒小平が中国人をどれほど信頼していたかはもちろん疑義がある。中国人は暴力で押しつっけなければまとまらないことを訒小平は理解していたから、あの穏やかな風貌とは別に、弾圧などはきわめて冷酷に断行したと言われる。さもなければ単なる穏和なおじさんではカリスマ的指導力は発揮できない。その最終結論が四六天安門事件であり、結局は彼も中国の政治指導者であることを再認識させた。
この天安門事件が、今中国の騒ぎ立てる南京虐殺事件に大きく関わっているのだが、長くなったのでまた次の機会に。
これは メッセージ 183142 (riseidekanngaeru さん)への返信です.
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