日中関係

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Re: 映画「台湾人生」

投稿者: yume_sarasa1211 投稿日時: 2010/06/09 01:15 投稿番号: [182638 / 196466]
★「芝刈り」   もちろん変換ミスです。   →   「柴刈り」が正解。

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昔、日本には修身という科目があった。
正座・障子の開け方かた、お茶の淹れかた、教えられた。
これは、日本人が台湾に残した遺産、日本のたまものだ。


女学校に行く人は、みな成績上位。だからバカにされることはなかった。
日本人よりよくできた、二番だった。でも賞をもらうのは日本人。
味方になってくれた日本人の先生もいて自分を押してくれたが、
差別した先生もいてだめだった。
でも平気。わたしは日本人よりよくできたんだから。
今の日本人の人よりも、わたし、日本人ですよ。


「作文を書け」といわれて書けないから「天皇陛下万歳 ! 」と書いて机の中に入れて
おいた。見つかって「これはおまえが書いたのか、あとで校長室に来い ! 」と。
校長先生の前で、「これはホントの日本人の精神を・・・」(褒められた)

月月火水木金金で・・・・・

日本人の校長はとても厳しい校長で、
わたしが「早くラー」と言って校長に知られたんです。
(★語尾に台湾語のラーをくっつけたらしい★)
「おい、ちょっと来い、今なんて言った ? 」「なにがラーか ! 」
とこうひねって・・・(頬を強くひねりあげる)(でも厳しいばかりではなく)
わたしの家の状況をよく知って、助けてもらいました。

宋(定国)さんは家が貧しく勉強を続けることを何度も諦めましたが、
小松原先生はそんな宋さんを励まし続けました。
無事小学校を卒業した宋さんは、働きながら学ぶことができる夜間中学に進みました。

あとでですね、勉強を続けようと思ったら続けられないの。
そんとき学校をやめようと思った。で先生のところへ行った。
そしたら語っているうちに、先生なにも言わないで、ポケットに五円札、
当時の五円札は大金だった、大きいカネだった。僕は涙を出しながら、
「先生、わたし必ず成功します、どんなことがあっても成功してみせます」

小松原先生の後押しを受けて、宋さんは夜間中学を卒業。
すぐに●○海軍工廠に行き、日本で敗戦を迎えました。
(●○は、名称を忘れました、江ノ島のあたりらしい)

日本から帰って先生のところへ行った。芋を五・六個持って。
先生の生活も苦しいんだよ、子どもが三・四人もおる。
(そのあと、よく聞き取れなかったが、先生からいろいろせびりとって
世話になった、と言っているらしい)
あとから、先生のいろんな状況がわかった。

つづく

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