Re: 日中関係
投稿者: soutennohoshi 投稿日時: 2010/05/16 00:40 投稿番号: [181946 / 196466]
罵倒
汚い言葉で激しくののしること
どんな言葉が罵倒に当たるかは文化や時代、関係によるのだろうと思う。
また、文章表現での罵倒と会話における罵倒では本質的にその効果・役割が異なるのではないかと思う。
コミュニケーションが何かを伝達する手段であるのなら、罵倒が伝達できることは極めて少ないと思う。
まさに
>人間の言葉である以上、人間感情からあふれ出た、表現の一部<
であって、
相手に対する怒りや侮蔑の感情くらいしか伝達することはできない。
だとすると、罵倒のコミュニケーションツールとしての有用性は甚だ限定的なものだと思う。
しかし、そうであったとしても、罵倒し合うことが日常的なコミュニケーションとなっている文化を一方的に否定するわけにはいかない。
それはそういう文化なのだから、あるがままに受け止めるしかない。
まぁ、せいぜい罵倒無しの方がはるかに有意義なコミュニケーションをはかれるのにと
ひとりごちるしかない。
で、そのような罵倒を日常のコミュニケーションツールとする文化圏の人たちとコミュニケートする場合に、
自分も罵倒をツールとすることを、当の文化圏に属する人が
>思わず失笑。それはお前の本心だろうね!
お前のこの一言で、多くの日本人は恥ずかしく思うだろうな! <
>話はずれたけれど、問題は中韓の人に対して罵倒を辞ないその心理。
罵倒も国を選べるようなその屈折した精神、そこが笑える。<
などと非難し笑うのは、いかなる論理からすればできるのか理解に苦しむ。
自分たちは誰彼かまわず罵倒するから正しくて、笑われないとでも言うのだろうか?
罵倒してくる文化と罵倒してこない文化を区別することが屈折した精神と考え、アメリカ、ヨーロッパ
(アフリカ、東南アジア、南アジア、西アジアは?)の方に笑われると結論づけるのが当然と思っているのだろうか?
敬語や美辞麗句が心の上品さの証になるかならないかをここでわざわざ持ち出すのは、すり替えてとられることもあると思うし、
話の進行の妨げになりかねないスレ違いだと思う。
これは メッセージ 1 (messages_admin さん)への返信です.
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