Re: 南京
投稿者: yume_sarasa1211 投稿日時: 2009/09/08 01:34 投稿番号: [178155 / 196466]
■4.後から無理矢理追加したような、、、■
太郎
事件直後の12月は日当たり100体以上埋葬している隊もありますが、
あとはずっと10〜30体程度です。四月の分だけ「城外」と別扱いになり、
いきなり1000から3000近くにもなっています。また記載の方法も、
城内の部分では、隊名と埋葬場所がちゃんとありますが、最後の城外の方は、
それがなくて、書き方が変わっています。
日本軍が南京を攻撃したのが12月だから、この埋葬隊は事件後4ヶ月間は日当たり
数十体を埋葬し、5ヶ月目に城外に出て、突然毎日数千という遺体処理をしたことになります。
花子
なんだか、ここだけ後から無理矢理追加したような感じですね。
同じ埋葬隊でこんなに処理能力が違うということがありうるのかしら?
太郎
弁護側の指摘でも、これらの地域では日中両軍とも戦死者が続出したので、
死体は虐殺とは言えない事、それに日本軍がすでに清掃をした後、さらに5ヶ月
経って、こんなに多数の死体が残されているはずがない、との事です。
花子と太郎が疑った4月の数値を除けば、崇善堂全体の処理数11
2,266体は、7,548体となってしまう。
■5.目撃者への疑問■
次に多いのは、魯甦という人が目撃したという5万7千余という数字である。
書面で提出された証言は次のようなものである。[3]
敵(日本)軍入城後、まさに退却せんとする国軍、および難民男女老若合計
五万七千四十八人を幕府山付近の四、五ヶ村に閉じ込め、飲食を断絶す。
凍餓し死亡する者すこぶる多し。一九三七年十二月十六日の夜間に至り、生き残れる
者は鉄線をもって二人を一つに縛り四列に並ばしめ、下関・草鞋峡に追いやる。
しかる後、機銃をもってことごとく掃射し、さらにまた、銃剣にて乱刺し、最後には
石油をかけて焼けり。焼却後の残屍はことごとく揚子江中に投入せり。
これに関して、二人は次のような疑問を抱いた。
花子
まず最も単純な誤りは、こうして殺されたという人の数を、先ほどの崇善堂などが
埋葬した数に足している事です。同じ人が殺されて埋葬されたら、二人となります。
これって完全なダブルカウントですよね。
証言の内容も、だいたい、村の数さえ四、五ヶ村とはっきり数えられないのに、
なぜ五万七千四十八人と一人の位まで正確な人数を言えるのでしょう。
さらに飢えさせ、凍えさせ、鉄線で縛り、機銃掃射し、銃剣で刺し、石油をかけて殺す
なんて、まるで映画を見ているようですが、どうして証言者だけカメラマンのように
ずっと安全に光景を眺めていられたのでしょうか。
まさか透明人間だった訳ではないでしょう。
太郎
弁護側は、これらは陳述書のみで、法廷でこういう疑わしい証言をする人を
呼び出し、反対尋問をする機会が与えられなかった、と言っています。
アメリカ人の弁護人も、「本人を出廷せしめて、直接反対尋問することは、(
英語を話す国民においては)常識である」と批判しています。
それが出来なければ「見たこともない、聞いたこともない、またどこにいるかも
分からない人間の証言を使って審理することになる」というのです。
東京裁判とはまさにこういう非常識な証言を非常識な方法で積み上げて、
判決を下したものだと、僕は知りました。残りの数値もすべて同様で、
単にどこにいるかも分からない人が、何人埋葬した、と言っている証言だけです。
つづく
.
太郎
事件直後の12月は日当たり100体以上埋葬している隊もありますが、
あとはずっと10〜30体程度です。四月の分だけ「城外」と別扱いになり、
いきなり1000から3000近くにもなっています。また記載の方法も、
城内の部分では、隊名と埋葬場所がちゃんとありますが、最後の城外の方は、
それがなくて、書き方が変わっています。
日本軍が南京を攻撃したのが12月だから、この埋葬隊は事件後4ヶ月間は日当たり
数十体を埋葬し、5ヶ月目に城外に出て、突然毎日数千という遺体処理をしたことになります。
花子
なんだか、ここだけ後から無理矢理追加したような感じですね。
同じ埋葬隊でこんなに処理能力が違うということがありうるのかしら?
太郎
弁護側の指摘でも、これらの地域では日中両軍とも戦死者が続出したので、
死体は虐殺とは言えない事、それに日本軍がすでに清掃をした後、さらに5ヶ月
経って、こんなに多数の死体が残されているはずがない、との事です。
花子と太郎が疑った4月の数値を除けば、崇善堂全体の処理数11
2,266体は、7,548体となってしまう。
■5.目撃者への疑問■
次に多いのは、魯甦という人が目撃したという5万7千余という数字である。
書面で提出された証言は次のようなものである。[3]
敵(日本)軍入城後、まさに退却せんとする国軍、および難民男女老若合計
五万七千四十八人を幕府山付近の四、五ヶ村に閉じ込め、飲食を断絶す。
凍餓し死亡する者すこぶる多し。一九三七年十二月十六日の夜間に至り、生き残れる
者は鉄線をもって二人を一つに縛り四列に並ばしめ、下関・草鞋峡に追いやる。
しかる後、機銃をもってことごとく掃射し、さらにまた、銃剣にて乱刺し、最後には
石油をかけて焼けり。焼却後の残屍はことごとく揚子江中に投入せり。
これに関して、二人は次のような疑問を抱いた。
花子
まず最も単純な誤りは、こうして殺されたという人の数を、先ほどの崇善堂などが
埋葬した数に足している事です。同じ人が殺されて埋葬されたら、二人となります。
これって完全なダブルカウントですよね。
証言の内容も、だいたい、村の数さえ四、五ヶ村とはっきり数えられないのに、
なぜ五万七千四十八人と一人の位まで正確な人数を言えるのでしょう。
さらに飢えさせ、凍えさせ、鉄線で縛り、機銃掃射し、銃剣で刺し、石油をかけて殺す
なんて、まるで映画を見ているようですが、どうして証言者だけカメラマンのように
ずっと安全に光景を眺めていられたのでしょうか。
まさか透明人間だった訳ではないでしょう。
太郎
弁護側は、これらは陳述書のみで、法廷でこういう疑わしい証言をする人を
呼び出し、反対尋問をする機会が与えられなかった、と言っています。
アメリカ人の弁護人も、「本人を出廷せしめて、直接反対尋問することは、(
英語を話す国民においては)常識である」と批判しています。
それが出来なければ「見たこともない、聞いたこともない、またどこにいるかも
分からない人間の証言を使って審理することになる」というのです。
東京裁判とはまさにこういう非常識な証言を非常識な方法で積み上げて、
判決を下したものだと、僕は知りました。残りの数値もすべて同様で、
単にどこにいるかも分からない人が、何人埋葬した、と言っている証言だけです。
つづく
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これは メッセージ 178154 (yume_sarasa1211 さん)への返信です.
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