7・7事変 > 経過
投稿者: mawaru_01 投稿日時: 2001/06/07 20:36 投稿番号: [17794 / 196466]
1937年7月7日夜11時、日本軍は宛平城外の盧溝橋附近で中国軍に挑発するような夜間軍事演習を行っていた。一名兵士の失踪を理由に宛平城への強制捜査を強要、中国軍に拒否された後、突然、宛平城に駐屯していた中国軍へ発砲。中国軍側も応戦、多数の死傷者が出た。
>1937年7月 8日 盧溝橋事件発生、しかし停戦協定成立
『停戦協定』?、正式に中華民国政府の承認を得たのか?当事者(第29軍)との示談に過ぎないんではないのか?
7月10日、日本駐華大使、中国に出した要求:
① 中国はすべての損害を日本に賠償すること
② 中国軍は盧溝橋、永定河地域から撤退すること
③ 中国側の関係将校を刑罰すること
④ 中国政府は日本軍に謝罪すること
7月13日、蒋介石は宋哲元へ打電、守備の命令を出した。
7月16日、日本軍は大規模な攻撃を開始、十数日後、北平、天津を占領。
>25日 朗坊事件(国民党政府の停戦協定違反)
その前に日本軍の攻撃はすでに始まったが?
>8月11日約1万2千の正規兵の偽装保安隊が上海協定線内に送り込まれた。(これは昭和7年の停戦協定違反)
日本軍は北平、天津を占領した以上、日中間の停戦協定は何の拘束力があるのか?
これは メッセージ 17785 (jyoui さん)への返信です.
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