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引き揚げ、残留者の悲劇

投稿者: gagababa_kk 投稿日時: 2001/06/07 19:22 投稿番号: [17793 / 196466]
「中国残留孤児・残留婦人等の形成期」 1945(S20)〜1949(S24)年

1945年6月の関東局調査によると、満州国の総人口は166万2千人であった。厚生省『引き揚げと援護30年の歩み』によると、終戦直後の死亡者は24万5千人、うち、日ソ戦闘時は6万人で、終戦後に18万5千人が死亡していると記されている。この数字は、終戦直後の混乱と惨状を如実に物語っている。中国国内のさまざまな事情で、このとき帰国できなかった孤児・婦人・邦人が多数存在した。今日の中国残留孤児・残留婦人等の形成期と見ることができる。多くの人が極限状況を経験した終戦直後からの国共内戦などによる混乱期から、1949年の中華人民共和国(以下中国)成立までを、「第2期: 中国残留孤児・残留婦人等の形成期」とした。




引き揚げ
当初、日本人への略奪・婦女暴行が続出した【『満蒙終戦史』543p.1962.満蒙同胞援護会】【『撫順炭鉱終戦の記』8p.庵谷 磐著.満鉄東京撫順会.1973.】。ソ連から、最初に満州に侵攻したのは「囚人部隊」であったと言われている。ヒヤリング協力者の大半の残留婦人は、丸坊主にして男装し、体中に炭を塗っていたという。日本軍は武装解除を受けるが、多くが捕虜となり、シベリアヘ送られ、老人、女、子供だけが、残った。



引き揚げ
コロ島を出港する船の中には女性専用の相談室が設けられていたという。『引揚援護│の記録(続・続々)』(昭和25・30・38年)では、検疫所内に特殊婦人相談所があったことへの言及がある。「上陸地患者状況調」の傷病名欄の妊娠の名目で診察を受けた者6,386名、内入院したもの2,157名。別の資料「引揚婦女子医療救護実施要領」に│よると、6つの上陸港の最寄りの国立病院及び診療所に第1次婦女子病院が設けられ、600床を越える受け入れ体制が整えられて「諸種の事情のため正規分娩不適切者には、極力妊娠中絶を実施すること。」とされていた。しかし、当時は堕胎罪が存在していた。






市内残留者の体験は、地獄絵さながらであったと言う。十数万の市民が、食料もない中で、毎日何百何千人と餓死していったという。【『チャーズ−中国革命線をくぐり抜けた日本人少女−』(上下)遠藤誉.文芸春秋.1990.】また、【『満州脱出』武田英克.中公新書.1985.72p.】では、長春で終戦の年から3年間で死んだ者は10万から20万人と記されている。

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