日中関係

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よく生き延びることができ

投稿者: gagababa_kk 投稿日時: 2001/06/06 20:06 投稿番号: [17761 / 196466]
兵隊太郎

日中戦争中の元中国人孤児「兵隊太郎」が回想録

  日中戦争中、日本軍に拾われ、日本で教育を受けた元中国人孤児「兵隊太郎」こと曹石堂さん(72)(中国山西省太原市在住)が、流転の生涯を日本語でつづり、このほど回想録を完成させた。日本の養父母らとの出会いと別れ、祖国での迫害と復権などを克明につづった回想録は、現代中国の知られざる裏面史でもある。曹さんは回想録を日本で出版し、数奇な“日中人間交流”のあかしとしたい考えだ。(北京   藤野   彰)

  曹さんは太原南方の沁県出身。七歳までに父母を亡くし、孤児となった。十歳の時、沁県に駐留した日本軍鉄道第六連隊山本中隊に拾われ、雑用係のボーイに。兵隊たちから「太郎」と呼ばれて愛された。

  一九四二年、主計少尉、加藤裕康さん(八六年死去)が里親となり、四四年、曹さんを日本に呼び寄せた。曹さんは立教大学に進んだが、五三年、祖国建設の熱情にかられ、学業半ばで中国に帰国した。

  しかし、政治運動の過程で人生は暗転。五九年、「スパイ罪」で投獄され、出獄後も農場労働、炭鉱生活と辛酸の日々を送った。名誉回復したのは改革・開放後の八〇年。山西大学に日本語教師の職を得た。そして日本に里帰りしたのは八三年のことだった。

  「兵隊太郎」の中国帰国や名誉回復、三十年ぶりの日本里帰りは読売新聞などでそのつど報じられた。しかし、当時の中国の政治事情から、曹さんにとっては語ることのできないエピソードが多かった。回想録には、出生から復権後の生活に至るまでの軌跡が詳細につづられ、波乱万丈の人生の全容が本人の言葉で初めて明らかにされている。

  回想録は四百字詰め原稿用紙に換算して約五百五十枚。三年かけてワープロで書き上げ、九九年に結婚した日本人妻、熊林咲子さん(63)が推敲(すいこう)作業を手伝った。古い記録や写真は、投獄時に押収されるなどして散逸し、ほとんど手元になかったが、「足かけ三年の獄中生活では毎日、昔のことばかり考えていた。それが今も頭に残り、執筆する上で助かった」という。

  曹さんは回想録の中で「七十年という長い旅路のほとんどは、前方に立ちはだかる障害を乗り越える苦難の歴史」だったと回顧。それは特に、投獄されて以降の絶望の日々によく描かれている。獄中の食事は「二個のちびた窩頭(コウリャン粉などをこねて蒸したもの)と海水のようなスープ」だけで、「処刑される夢ばかり」見て、自殺を図ろうとした秘話などが披露されている。長年の念願だった回想録を脱稿した曹さんは「あの時代、海外と関係がある者はみんなにらまれた。中国の雑誌を日本に送っただけで『反革命』とされたほどだった。無実の罪で二十年もむなしく過ごしたが、考えてみれば、よく生き延びることができたと思う」と感慨にひたっている。
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