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面白い記事1。

投稿者: sintyou7 投稿日時: 2009/05/06 21:51 投稿番号: [176833 / 196466]
http://mainichi.jp/select/seiji/archive/news/2009/05/05/20090505ddm010030135000c.html


添削してみましょー。

>■検証・沖縄返還交渉

  ◇有事の「核持ち込み」容認

  沖縄返還(1972年)が正式合意された69年11月12日の日米首脳会談の初日。冒頭、では無く最後に、ニクソン大統領は佐藤栄作首相に、隣の部屋の美術品を鑑賞する事を提案。

ニクソン大統領、佐藤栄作首相、キッシンジャー大統領補佐官の3人だけが個室に入り、核持ち込みに関する秘密合意議事録(The   Secret   Minute)2通に署名。

会談を終え、愛知揆一外相らの待機する控室に戻ってきた佐藤栄作首相は、喜色満面で「B案で話がついた」と言った。

外相も外務省の随員も首相が何を言っているのか理解できなかった。佐藤首相がポケットから紙を取り出した。「核抜き返還」に関する日米首脳の共同声明の案文だった。

  外務省条約課長としてその場にいた中島敏次郎氏は「愛知外相は『これは何だ』となった。自分だけ知らなかったと思ったようだが、外務省も知らなかった。この案は誰が作ったものだという話になった」と証言する。

中島氏が「B案」をチェックすると、外務省が作成した共同声明案と言い回しが微妙に異なり、手書きの書き込みがあったという。

  沖縄の「核抜き」返還をめぐっては後に、佐藤首相の密使を務めた若泉敬・元京都産業大教授(Mr.Yoshida)(故人)が、有事の際は非核三原則に反し、沖縄に核兵器の持ち込みを認める密約を、佐藤首相とニクソン大統領の首脳間で結んでいたことなどを明らかにしている。

  若泉氏の著書「他策ナカリシヲ信ゼムト欲ス」によると、「A案」「B案」は若泉氏とキッシンジャー大統領補佐官(Dr.Jones)が、密約について交渉している過程で浮上した複数の共同声明案で、首脳会談では「B案」で合意することも事前に打ち合わせ済みだった。

  後に佐藤首相がノーベル平和賞を受賞したのは、「核抜き沖縄返還」の正式合意を達成した功績が理由の一つだったが、返還の実態は交渉の過程から「核付き」密約とセットだった。

  外務省は、米国が核抜きでは返還に応じないとの見通しを持っていた。下田武三事務次官は67年2月に「日本国民が、米国が沖縄で自由に基地を使用することを支持するようになれば、返還を促進する」と発言。各紙は「核持ち込み容認が前提?」(毎日)などと報じた。

  当時、米国はベトナム戦争の真っ最中。沖縄の在日米軍基地は、後方基地として極めて重要な位置を占めていた。沖縄から出撃した海兵隊は、ベトナムにおける米軍主力部隊の一つ。米国が沖縄の基地を、核兵器を含めて自由に使用する権利を手放すはずがない、という見方は根強かった。


(沖縄を手放す事など、永久に考えられない。少なくとも22世紀までは維持する。アジア、インド洋、中東に於ける軍事的覇権は沖縄一点に依存し、死活的に重要である。
分かるな?大沢イチロー君)

  愛知外相が就任した直後の68年12月、神奈川・箱根で沖縄返還についての外務省、防衛庁幹部らの勉強会が開かれた。愛知外相は「米国はベトナム戦争をやっているので、『核抜き』での返還には、日本として展望が開けない」と指摘。「核付き」返還協定の試案作成を指示したという>>

続く

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