日本の歴史 蘆溝橋
投稿者: daitouryou_ss 投稿日時: 2001/06/04 23:25 投稿番号: [17664 / 196466]
1937年7月7日(水)
支那駐屯日本軍は、蘆溝橋付近で夜間訓練を行っていた。
歩兵第一連隊所属の第三大隊の第八中隊が事件に遭遇する。
注)指揮官
歩兵第一連隊・・連隊長牟田口大佐
第三大隊・・・・大隊長一木少佐
第八中隊・・・・清水大尉
7日22時40分
第八中隊が、演習の前段を終えて一段落を付けていたときに、頭上に弾丸の飛走音がひびいて、銃声が聞こえたので中隊長は集合ラッパをならさせた。
その時中国兵の信号が見え、同時に十数発の銃弾が頭上を走過した。
「蘆溝橋事件」の勃発・・・・である。
(これに対して日本軍は、応戦・発砲はしていない)
7日深夜
天津支那駐屯軍司令部は、連絡を受けて、幕僚会議を開き、東京へ連絡。
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8日午前1時
北京特務機関で協議。
8日午前2時
北京・桜井軍事顧問が北京市長に会い、事件を拡大させぬ意向で一致した。
事態収拾のため、両軍から軍使を派遣することとした。
8日午前3時
両軍軍使は、一緒に現地に向かう。
寺平大尉は、牟田口連隊長と面談し、不拡大に努めるよう指示を受ける。
8日午前4時20分
一木大隊長から牟田口連隊長へ電話で伺い。
一木大隊長「3時25分、現地で3発の銃声を聞いた。どうすべきか?」
牟田口連隊長「軍人が敵から撃たれながら、どうしたらよいかなどと聞く奴があるか」と応戦命令を出す。(不拡大方針の原則内での応戦)
これを受けて一木大隊長は進撃を開始。
8日午前5時30分
中国軍の一斉射撃が、大隊に加えられ、交戦状態に入った。
北京では、各大学の学生が集会を開いて、対日宣戦を叫んだ。
8日18時
蘆溝橋・交戦続く。
8日23時
八宝山(蘆溝橋の北)で交戦。
9日午前2時
北京特務機関と北京市長の間に、撤兵条件で合意に至る。
午前4時に撤兵との約束が、現地への連絡の手違いで、実施できず、以後数回交戦し、ようやく
9日19時
両軍引き上げて、沈静化した。
これは メッセージ 17661 (daitouryou_ss さん)への返信です.
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