Re: 正常大國的重要標誌
投稿者: xiaorenfanshi 投稿日時: 2008/09/25 11:28 投稿番号: [172865 / 196466]
>事実、史料に既に出ているように、当時、「太牢」或いは「三牲」と呼んで、豚、羊と牛が一緒に使われていたのです。「少牢」もあるが、諸侯の祭祀に使われていた。<
五谷六畜綿帛、ある物なら何でも良かったことです。これは農耕民的な発想です。しかし、羊が代表している意味は違います。遊牧的な性質も中国文化にはあると言っているのです。
物質重視で、多神教的で、神様との関係も、言わば親と子との関係のようで、甘えは効き、こうすれば、こうしてくれるだろうとの現実主義は農耕文化の特徴。
一方の遊牧文化は、物質より無形の「主義」を重んじ、一神教的で、人間と神様との関係は、まるで契約で結ばれている養子縁組のようで、甘えは効かなく、「善」「美」「義」など無形の行いも要求されるイデオロギー的なものです。
>孔子様の「克己復禮」は戦国時代の群雄割拠の世相を憂慮し、「君君、臣臣、父父、子子」の倫理観念で管理されていた周王室の権威を取り戻そうとするものだと思うが、「周礼」が決める周の礼は「遊牧部族」の「周」の「禮」とはどう違うでしょうか。「遊牧部族」の「周」の「禮」は具体的にどういう内容のものでしょうか。<
まず十三経の一つの「周礼」は、発掘したもの(甲骨文、金文など)との食い違いがあるため、周王朝どころか、孔子が生きている時代よりも後の時代に書いた物ではないかとの認識は一般的になっているようです。
それでは、孔子が提唱している「禮」や「周」の「禮」はどうなんでしょうか、と言われても、私には難しすぎる問題ですが、自分なりの理解を少しだけ述べてみます。
孔子は「殷因於夏禮、所損益可知也。周因於殷禮、所損益可知也。其或継周者、sui百世可知也。」、周の禮を高く評価し、提唱しようとしていたことは解ります。
また、「子不語乱力怪神」(本当は好きのようだが)と、農耕民が好む多神教信仰傾向を孔子は否定しようとしていたのです。理念が高く、「至高無上」の一神教信仰(これは遊牧部族だった周の禮の基本だと理解している)は国々を纏める力になってくれると、孔子様が期待し望んだのでしょう。
それより、実は孔子以前に、「中国文化」の形成には、既に遊牧部族出身者も参加し、その思惑も入ったものだと考えているのです。
「論語」は一句一句のスローガンのように読むのではなく、全体をじっくりと読むと、面白いものはいろいろ出てきます。
弟子たちは「鬼神」のことを聞くと、「未能事人、yan能事鬼。」と退く孔子。余りにもしつこい生徒だと、「敬鬼神而遠之」と、孔子様もとてもお人よしです。
一生をかけて、「周」のイデオロギーを提唱している孔子は実は農耕民の子孫だったと、死ぬ一週間前に告白したのは、実に中国文化の象徴的なエピソードだと思います。
今日はこの辺りにさせてください。
自分の考えをもう少し人に伝えられるように、うまく述べられたらと思っていますが、力の限界です。
それでは、いつもいつも遅くてお許しを。
五谷六畜綿帛、ある物なら何でも良かったことです。これは農耕民的な発想です。しかし、羊が代表している意味は違います。遊牧的な性質も中国文化にはあると言っているのです。
物質重視で、多神教的で、神様との関係も、言わば親と子との関係のようで、甘えは効き、こうすれば、こうしてくれるだろうとの現実主義は農耕文化の特徴。
一方の遊牧文化は、物質より無形の「主義」を重んじ、一神教的で、人間と神様との関係は、まるで契約で結ばれている養子縁組のようで、甘えは効かなく、「善」「美」「義」など無形の行いも要求されるイデオロギー的なものです。
>孔子様の「克己復禮」は戦国時代の群雄割拠の世相を憂慮し、「君君、臣臣、父父、子子」の倫理観念で管理されていた周王室の権威を取り戻そうとするものだと思うが、「周礼」が決める周の礼は「遊牧部族」の「周」の「禮」とはどう違うでしょうか。「遊牧部族」の「周」の「禮」は具体的にどういう内容のものでしょうか。<
まず十三経の一つの「周礼」は、発掘したもの(甲骨文、金文など)との食い違いがあるため、周王朝どころか、孔子が生きている時代よりも後の時代に書いた物ではないかとの認識は一般的になっているようです。
それでは、孔子が提唱している「禮」や「周」の「禮」はどうなんでしょうか、と言われても、私には難しすぎる問題ですが、自分なりの理解を少しだけ述べてみます。
孔子は「殷因於夏禮、所損益可知也。周因於殷禮、所損益可知也。其或継周者、sui百世可知也。」、周の禮を高く評価し、提唱しようとしていたことは解ります。
また、「子不語乱力怪神」(本当は好きのようだが)と、農耕民が好む多神教信仰傾向を孔子は否定しようとしていたのです。理念が高く、「至高無上」の一神教信仰(これは遊牧部族だった周の禮の基本だと理解している)は国々を纏める力になってくれると、孔子様が期待し望んだのでしょう。
それより、実は孔子以前に、「中国文化」の形成には、既に遊牧部族出身者も参加し、その思惑も入ったものだと考えているのです。
「論語」は一句一句のスローガンのように読むのではなく、全体をじっくりと読むと、面白いものはいろいろ出てきます。
弟子たちは「鬼神」のことを聞くと、「未能事人、yan能事鬼。」と退く孔子。余りにもしつこい生徒だと、「敬鬼神而遠之」と、孔子様もとてもお人よしです。
一生をかけて、「周」のイデオロギーを提唱している孔子は実は農耕民の子孫だったと、死ぬ一週間前に告白したのは、実に中国文化の象徴的なエピソードだと思います。
今日はこの辺りにさせてください。
自分の考えをもう少し人に伝えられるように、うまく述べられたらと思っていますが、力の限界です。
それでは、いつもいつも遅くてお許しを。
これは メッセージ 172864 (xiaorenfanshi さん)への返信です.
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