Re: Speed Up Up 最高<日本人と支那人
投稿者: nihon_kai_2006 投稿日時: 2008/08/04 18:50 投稿番号: [168319 / 196466]
ペリーの予言
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私は、世界のどの地方においても、ヨーロッパにおいてすら、日本人のように気取りのない優雅さと威厳を備えた国民を見たことがないと断言する。ことに貴族(武士)の人々の物腰は見事であった。
実用的ならびに機械的分野の諸技術において、日本人は卓越した手先の器用さを持っている。彼らの道具の粗末さや彼らの不完全な知識を考えあわせるとき、彼らの手工業的能力の完全さは驚くべきものだといわねばならない。日本人の手工業者たちは、世界のどこの手工業者にも劣らず熟達しており、この国民の発明的能力が自由に発揮された時には、日本人はいつまでも最も成功している工業国民に遅れをとったままではいないであろう。他の諸国民が成し遂げた物質的進歩の諸成果を学ぼうとする彼らの好奇心と、それを自分の用途に適応する意欲は、もし、現在、彼らを他国との交流から締め出している政府の方針がゆるめられるとすれば、この国をたちまち世界の最も恵まれた国々と並ぶ水準までに押し上げるであろう。ひとたび、文明世界の過去および現在の技能等を手に入れたならば、日本人は将来における機械工業の成功をめざす競争に強力な競争相手として登場するであろう。
『アメリカ艦隊シナ近海および日本遠征記』より
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同じ頃、日本に来ていたイギリスの植物学者ロバート・フォーチュンが書き記した「幕末日本探訪記」の中でペリーが蒸気機関車の模型を日本人に見せたときの様子が書いてある。
『会見の時にアメリカ政府から、アメリカ製の織物、農器具、消火器、実物の約四分の一の精巧な機関車、給炭車、客車を連結した汽車の模型などが贈られた。その後で環状線路の上を時速四〇マイルの速力で汽車を走らせて、試運転を行なった。この時日本の代表連は、蒸気機関で走る汽車に、最も興味を持ったということであった。しかし、シナ人のように、驚いたり、不思議そうな素ぶりは見せなかったそうである。』
日本で機械文明が遅れたのは当時大量輸送の必要があまりなかったからと誰かが書いていた。
しかし、技術力やその仕組みを理解するだけの学識は十分に持っていた。
だから、上記のようなペリーの予言も出てくるし、すぐに蒸気船や蒸気機関車も独力で作り上げることが出来た。
後で資料を検索してみるが、誰かがすぐに投稿するだろう。
一方、支那人は船も機関車も自動織機も自動車も飛行機もまともに作れなかった。
自動車などでさえ戦後かなりたつまで作れなかった。
日本人と支那人を比較した言葉がある。
西村眞悟議員が紹介していた言葉の中に
ウィリアム・オドム陸軍中将の投稿というものがあって
http://en.wikipedia.org/wiki/William_Odom
「20世紀を振り返ってアメリカとチャイナが仲良くしたときには、戦争と貧困があった。アメリカと日本が手を結んだときには、繁栄と平和があった。我々はどちらを取るべきか明らかであろう。」
支那は疫病神なんだ。
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私は、世界のどの地方においても、ヨーロッパにおいてすら、日本人のように気取りのない優雅さと威厳を備えた国民を見たことがないと断言する。ことに貴族(武士)の人々の物腰は見事であった。
実用的ならびに機械的分野の諸技術において、日本人は卓越した手先の器用さを持っている。彼らの道具の粗末さや彼らの不完全な知識を考えあわせるとき、彼らの手工業的能力の完全さは驚くべきものだといわねばならない。日本人の手工業者たちは、世界のどこの手工業者にも劣らず熟達しており、この国民の発明的能力が自由に発揮された時には、日本人はいつまでも最も成功している工業国民に遅れをとったままではいないであろう。他の諸国民が成し遂げた物質的進歩の諸成果を学ぼうとする彼らの好奇心と、それを自分の用途に適応する意欲は、もし、現在、彼らを他国との交流から締め出している政府の方針がゆるめられるとすれば、この国をたちまち世界の最も恵まれた国々と並ぶ水準までに押し上げるであろう。ひとたび、文明世界の過去および現在の技能等を手に入れたならば、日本人は将来における機械工業の成功をめざす競争に強力な競争相手として登場するであろう。
『アメリカ艦隊シナ近海および日本遠征記』より
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同じ頃、日本に来ていたイギリスの植物学者ロバート・フォーチュンが書き記した「幕末日本探訪記」の中でペリーが蒸気機関車の模型を日本人に見せたときの様子が書いてある。
『会見の時にアメリカ政府から、アメリカ製の織物、農器具、消火器、実物の約四分の一の精巧な機関車、給炭車、客車を連結した汽車の模型などが贈られた。その後で環状線路の上を時速四〇マイルの速力で汽車を走らせて、試運転を行なった。この時日本の代表連は、蒸気機関で走る汽車に、最も興味を持ったということであった。しかし、シナ人のように、驚いたり、不思議そうな素ぶりは見せなかったそうである。』
日本で機械文明が遅れたのは当時大量輸送の必要があまりなかったからと誰かが書いていた。
しかし、技術力やその仕組みを理解するだけの学識は十分に持っていた。
だから、上記のようなペリーの予言も出てくるし、すぐに蒸気船や蒸気機関車も独力で作り上げることが出来た。
後で資料を検索してみるが、誰かがすぐに投稿するだろう。
一方、支那人は船も機関車も自動織機も自動車も飛行機もまともに作れなかった。
自動車などでさえ戦後かなりたつまで作れなかった。
日本人と支那人を比較した言葉がある。
西村眞悟議員が紹介していた言葉の中に
ウィリアム・オドム陸軍中将の投稿というものがあって
http://en.wikipedia.org/wiki/William_Odom
「20世紀を振り返ってアメリカとチャイナが仲良くしたときには、戦争と貧困があった。アメリカと日本が手を結んだときには、繁栄と平和があった。我々はどちらを取るべきか明らかであろう。」
支那は疫病神なんだ。
これは メッセージ 168315 (jm_s1960 さん)への返信です.
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