米国と琉球。
投稿者: sintyou6 投稿日時: 2008/06/20 19:38 投稿番号: [165707 / 196466]
1853年6月、米国東インド艦隊の軍艦4隻が、司令官ペリーに率いられて日本の浦賀に現れた。
当時の政権担当者であった徳川幕府は、220年の鎖国の安眠から叩き起こされたような衝撃を受け、風評を伝え聞いた庶民の動揺は、まるで世の中がひっくり返ったようであった。
ペリー来日の目的は、米国が世界戦略の中で、極東の軍事的中継点として、艦船の寄港・補給の基地として、その価値を認めていたことと、国内産業の高度化により市場が飽和状態に近付き、新たな海外市場として日本をその標的としていたこである。
その意図は、翌年の二回目の寄港から後、数々の不平等条約締結に日本を追い込んだ彼らの戦略からも明白である。
そのペリーが浦賀に現れる直前、琉球に立ち寄っている事実はあまり知られていない。
ペリーが琉球に来たことの意味は、当時の米国の世界戦略のしたたかさを十分にうかがわせるものである。
米国政府は琉球が日本の支配下にあることを熟知していた。そして軍事的中継点としてだけでなく、米国産業の重要な市場として日本を獲得するために、その交渉は非常に重要な意味を持っていた。
自分たちよりも未開で弱小な国や民族を相手とする交渉に際して、最も単純で有効な方法は、軍事力を背景とした恫喝である。その軍事力の拠点を、米国は琉球に求めたのである。
米国の世界戦略のための極東軍事基地としての役割は、沖縄が戦後に背負わされたものではなく、すでに明治維新以前から琉球王国がその標的となっていたのであった。
しかしペリーは琉球を軍事的に占領することはしなかった。
琉球王府の役人たちの優柔不断な応対に業を煮やし、多数の兵隊を率いて強引に首里城に入城はしたが、極端な軍事行動はとらなかったのである。その後、ペリーは日本との条約締結を成し遂げ、帰途琉球を再訪して日本と同様な条約を琉球王国との間にも締結して去って行った。
ちなみに琉球王国を軍事的に占領したのは、その後の明治政府であった。
彼らもまた米国と同様、琉球を台湾.中国への軍事進出の中継点と位置付けていた。
日本と日本人が琉球を自国の領土として版図に組み込むというよりも、単純に軍事的価値だけを認めていたということであり、そのことは後の沖縄戦で見事なまでに立証されている。
ペリーが琉球を軍事的に占領しなかったのは、その必要性を認めなかったためであり、彼がそのように感じたのは、この国には武器を取って戦う軍隊という組織がなく、従ってそれらを制御しておくために自国軍を駐留させる必要もなかったということである。琉球の港を使用したいなら、いつでも寄港して食糧や薪水の補給が受けられる、そのような条約さえ締結しておけばよいとの判断に至ったのである。
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当時の政権担当者であった徳川幕府は、220年の鎖国の安眠から叩き起こされたような衝撃を受け、風評を伝え聞いた庶民の動揺は、まるで世の中がひっくり返ったようであった。
ペリー来日の目的は、米国が世界戦略の中で、極東の軍事的中継点として、艦船の寄港・補給の基地として、その価値を認めていたことと、国内産業の高度化により市場が飽和状態に近付き、新たな海外市場として日本をその標的としていたこである。
その意図は、翌年の二回目の寄港から後、数々の不平等条約締結に日本を追い込んだ彼らの戦略からも明白である。
そのペリーが浦賀に現れる直前、琉球に立ち寄っている事実はあまり知られていない。
ペリーが琉球に来たことの意味は、当時の米国の世界戦略のしたたかさを十分にうかがわせるものである。
米国政府は琉球が日本の支配下にあることを熟知していた。そして軍事的中継点としてだけでなく、米国産業の重要な市場として日本を獲得するために、その交渉は非常に重要な意味を持っていた。
自分たちよりも未開で弱小な国や民族を相手とする交渉に際して、最も単純で有効な方法は、軍事力を背景とした恫喝である。その軍事力の拠点を、米国は琉球に求めたのである。
米国の世界戦略のための極東軍事基地としての役割は、沖縄が戦後に背負わされたものではなく、すでに明治維新以前から琉球王国がその標的となっていたのであった。
しかしペリーは琉球を軍事的に占領することはしなかった。
琉球王府の役人たちの優柔不断な応対に業を煮やし、多数の兵隊を率いて強引に首里城に入城はしたが、極端な軍事行動はとらなかったのである。その後、ペリーは日本との条約締結を成し遂げ、帰途琉球を再訪して日本と同様な条約を琉球王国との間にも締結して去って行った。
ちなみに琉球王国を軍事的に占領したのは、その後の明治政府であった。
彼らもまた米国と同様、琉球を台湾.中国への軍事進出の中継点と位置付けていた。
日本と日本人が琉球を自国の領土として版図に組み込むというよりも、単純に軍事的価値だけを認めていたということであり、そのことは後の沖縄戦で見事なまでに立証されている。
ペリーが琉球を軍事的に占領しなかったのは、その必要性を認めなかったためであり、彼がそのように感じたのは、この国には武器を取って戦う軍隊という組織がなく、従ってそれらを制御しておくために自国軍を駐留させる必要もなかったということである。琉球の港を使用したいなら、いつでも寄港して食糧や薪水の補給が受けられる、そのような条約さえ締結しておけばよいとの判断に至ったのである。
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