則天武后の唐(武周)と日本の天皇
投稿者: n_o_i_s_e_m_a_n_d 投稿日時: 2008/04/07 12:03 投稿番号: [159311 / 196466]
>そして、それを可能にしたものこそ「天皇」すなわち「天帝の末裔」の存在だと考えられます。唐代でも「遣唐使」より「遣日使」の方が数倍も多かったことが分かってきています。
道教でも「天帝」とは「天皇大帝」と同意です
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A9%E5%B8%9D「唐」では「高宗」の后の「則天武后」が、夫の高宗に「天皇」と称させ、死後は 「天皇大帝」 の諡(おくりな)を付けました。
そして高宗亡き後「武周」王朝を開きチャイナ唯一の「女帝」として即位しました。(武周は数年で無くなり唐に戻りました)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AD%A6%E5%89%87%E5%A4%A9唐が日本と戦ったのは「則天武后が実験を握っていた時代のみ」であり、それ以前や則天武后失脚以降では唐は友好的でした。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A9%E7%9A%87%E5%A4%A7%E5%B8%9Dそして、則天武后が夫の高宗に「天皇」を称させた頃、日本でも(国際的に)「天皇」を名乗りはじめ、そして「則天武后の差し向けた軍と戦った」わけです。
私はこれを「本家と元祖の争い」だと考えています。
つまり、唐王朝が「皇帝」を名乗ってもそれは勝手で日本が合わせる必要はありませんが、「天皇」を名乗られては日本としては看過できず、「正統な天皇として主張せざるを得なくなった」だろうということです。
(則天武后は「道教の女道士」ですが「道士の正統な血族」ではなく、仏教の尼僧として出家するのが嫌で道教を選んだと言われています。)
しかし、「日本の立場」は「自分を正統化しようとする則天武后」にとって「なんとしても認められないもの」だったと考えられます。
ただ、道教自体は神道と同じくルーツは「伏義・女禍、盤古などの苗族神話」や「伏義の八卦、陰陽」などにあります(女禍のようにむしろ女神優位で「女帝」も認められています。)
そのため則天武后失脚後は、日本ではむしろ(伏義・女禍系の流れを汲む王朝を立ち上げようとした)則天武后に同情的です。
これは メッセージ 159297 (n_o_i_s_e_m_a_n_d さん)への返信です.
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