Re: 中国人に殺 インドネシアの教科書3
投稿者: yominokuni56 投稿日時: 2008/02/26 22:52 投稿番号: [154232 / 196466]
その他の物資の搾取
くず鉄は古い鍬や鎌 庭の鉄柵まで取り壊して差し出さねばならなかった.
労組動力の搾取
社会の階層を問わず,いたるところで行われた、もっともひどい目にあったのは強制労働者(ロームシャ)にするために動員された人々であった.彼らは田舎の出身で,一般に文盲であった.そのロームシャ太刀は橋,幹線道路、飛行場、防空壕といった日本防衛のために重要であった建設工事で労働を強制された.そのような壕が今でも残っている、カリウラン(ジョクジャカルタ)にあるのはその一つだ.。ジャワ島、の各地から集められた数千のロウムシャはマラヤ,やビルマ、インドシナなど、国外でも労働させられた、ロームシャの待遇はきわめて残酷であった、彼らが労働中にすこしでも不注意だったりすると、平手で叩かれ、銃で殴られ、鞭で打たれ、足蹴にされた。これに抵抗した者は殺された。
彼らの健康は配慮されなかった。衣服は満足に支給されず、食料は与えられはしたが、米の飯ではなく、タピオカの粉の粥であった、それも一日一回であり、量もきわめて限られたものであった。
その結果何千人ものロームシャは2度と故郷に戻ることは無かった。働かされていた森林でこの世を去ったのであった。
この事実を目のあたりにして、村の若者は姿を消した。これは地方の農業に悪い結果をもたらさざるを得なかった。
1943年以降、日本軍は行きずまり、連合国軍の攻撃に備えてインドネシアの青年を利用しようとした、日本は青年団をつくり、隊員は14歳から22歳までの青年から成っていた。目的は「自力で国土の防衛が出居るように青年達を教育,訓練する」ことであった。日本軍政府はこのように言っていた。しかし、本当の目的は来襲する国連軍に立ち向かわせようとする準備であった。
また、ケーボーダンあるいはボーゴダン(警察補助隊)フジンカイを作った。
ジャワ、ホコーカイ=1944年ジャワ民衆の動員を強化する為ジャワ忠誠会を作った。大東亜戦争の勝利のため民衆を駆り立て日本への全面的な献身をさせる事、会員は14歳以上で米、宝石、くず鉄などの物資を集める為民衆を動員する役割をさせられた、集めた物資は全て日本軍政府に引き渡された。
その他ヘイホ(日本補助兵)シュイシンタイなど1943年に設けられた。
国土義勇軍=1943年10月3日に結成された。インドネシア防衛のため、日本軍から軍事訓練をうけた。郷土防衛義勇軍の指揮官はインドネシア人であった。彼らは指揮官に就任する事を認められる前に士官候補生として教育を受けた。士官たちの教育はボゴールで行われた。インドネシア独立後、彼らの多くがインドネシア国軍の指導者となって活躍した。その中に故スディルマン将軍、カトッ・スブロフ将軍、アフマドヤニ将軍らがいる。
日本の占領政策は民族主義闘争に利用された。
くず鉄は古い鍬や鎌 庭の鉄柵まで取り壊して差し出さねばならなかった.
労組動力の搾取
社会の階層を問わず,いたるところで行われた、もっともひどい目にあったのは強制労働者(ロームシャ)にするために動員された人々であった.彼らは田舎の出身で,一般に文盲であった.そのロームシャ太刀は橋,幹線道路、飛行場、防空壕といった日本防衛のために重要であった建設工事で労働を強制された.そのような壕が今でも残っている、カリウラン(ジョクジャカルタ)にあるのはその一つだ.。ジャワ島、の各地から集められた数千のロウムシャはマラヤ,やビルマ、インドシナなど、国外でも労働させられた、ロームシャの待遇はきわめて残酷であった、彼らが労働中にすこしでも不注意だったりすると、平手で叩かれ、銃で殴られ、鞭で打たれ、足蹴にされた。これに抵抗した者は殺された。
彼らの健康は配慮されなかった。衣服は満足に支給されず、食料は与えられはしたが、米の飯ではなく、タピオカの粉の粥であった、それも一日一回であり、量もきわめて限られたものであった。
その結果何千人ものロームシャは2度と故郷に戻ることは無かった。働かされていた森林でこの世を去ったのであった。
この事実を目のあたりにして、村の若者は姿を消した。これは地方の農業に悪い結果をもたらさざるを得なかった。
1943年以降、日本軍は行きずまり、連合国軍の攻撃に備えてインドネシアの青年を利用しようとした、日本は青年団をつくり、隊員は14歳から22歳までの青年から成っていた。目的は「自力で国土の防衛が出居るように青年達を教育,訓練する」ことであった。日本軍政府はこのように言っていた。しかし、本当の目的は来襲する国連軍に立ち向かわせようとする準備であった。
また、ケーボーダンあるいはボーゴダン(警察補助隊)フジンカイを作った。
ジャワ、ホコーカイ=1944年ジャワ民衆の動員を強化する為ジャワ忠誠会を作った。大東亜戦争の勝利のため民衆を駆り立て日本への全面的な献身をさせる事、会員は14歳以上で米、宝石、くず鉄などの物資を集める為民衆を動員する役割をさせられた、集めた物資は全て日本軍政府に引き渡された。
その他ヘイホ(日本補助兵)シュイシンタイなど1943年に設けられた。
国土義勇軍=1943年10月3日に結成された。インドネシア防衛のため、日本軍から軍事訓練をうけた。郷土防衛義勇軍の指揮官はインドネシア人であった。彼らは指揮官に就任する事を認められる前に士官候補生として教育を受けた。士官たちの教育はボゴールで行われた。インドネシア独立後、彼らの多くがインドネシア国軍の指導者となって活躍した。その中に故スディルマン将軍、カトッ・スブロフ将軍、アフマドヤニ将軍らがいる。
日本の占領政策は民族主義闘争に利用された。
これは メッセージ 154231 (yominokuni56 さん)への返信です.
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