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お言葉に甘えて雑言

投稿者: kan_gyokusui 投稿日時: 2000/12/03 23:35 投稿番号: [15196 / 196466]
「文革の10年は、全くの無駄でした」   仲良くなった中国人に聞くと、おおむねそういう答えが返ってきます。   1964年に始まった「文化大革命」は、一見文芸上の論争を装って始まり、やがて毛沢東による当時の政府の中心、劉小奇や訒小平の放逐へとつながりました。   これら「実権派」の放逐は徹底していて、広い中国全土で、ありとあらゆる機関、学校、企業で枢要の地位にいた人々が追われ、「紅衛兵」と称する子供達が、大人達を至るところでつるし上げる光景が世界に報道されました。
日本での報道は、当初肯定的でした。   正確な情報が不足していたせいもあるのでしょうが、「世界史に残る壮大な実験」と持ち上げたり、「造反有理」などといって、生徒が教師に反発することが何か目新しい真理のように報道されたり、完全に当時の毛沢東中心の勢力の宣伝に乗せられていました。   そのせいか、当時現地で仕事をした日本人の中には、いまだに肯定的に見る人々がいます。
私が中国と仕事を始めたのは1986年、すでに文革は終焉して10年以上経過していました。   しかしその爪痕は色々なところに残っていたようです。   ひとつが、技術者の能力です。   宝山製鉄所の仕事で日本に「合作」つまり技術協議に来た人たちは、40代半ば過ぎの人ばかりでした。   通訳は20代の若い人でした。   中国人は年寄りを大切にしますので、それで年輩者が多いのかと思っておりましたら、「文革時代に大学をでた今の30代は、全然役に立たない」というのです。   大学へ入っても、毛沢東語録ばかり勉強して、専門を学ばず卒業しているからです。   みなさん、「若い人に期待するだけです」といっておりました。
四川省攀枝花での仕事では、通訳担当部署の課長が文革時代の卒業生でした。   「ドイツ語」が専門のはずなのに、全然役に立たず、当社元請けの会社から来ていたドイツ人達にいつも馬鹿にされていました。   中国人の部下達からも馬鹿にされていましたが、それでも首にならないところが中国らしいですね。
攀枝花の通訳の蒋さんからは、ずいぶんひどい話を聞きました。   彼女は当時若く、声がきれいだったので、「つるし上げ大会」の司会をさせられたとか。   「いやでしたけれど、いやといったら、自分がつるし上げられます。   怖かったです」と。   鉄のパイプで殴られて、半身不随になった人、MIT留学のエリートなのに北京から田舎の攀枝花へ押し込められて、専門とは違う雑役をやらされていた人、祖父が地主だったという理由で解雇され、つるし上げられた年下の女性、等々、肉体的精神的迫害は大変だったようです。
「その、当時迫害した人たちはどうしていますか?」と聞きましたら、そのまま、何も罰せられないでいるとのこと。   他人の国のことですから何とも言えませんが、やりきれない気持ちになりました。  
毛沢東は、死ぬまで革命家でした。   既成のシステムを破壊し続け、建設し直すことなく逝ってしまいました。   文革は、彼にとっては実験だったかも知れませんが、実験台にされた民衆の苦しみを、彼は分かっていたのでしょうか?   「毛主席は偉大でした。   しかし、晩年は、間違っていました」   と考える中国の人も多いようです。
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