Re: コピー文化は中国では価値が高かった2
投稿者: jamingwithed 投稿日時: 2008/01/19 09:33 投稿番号: [151527 / 196466]
十数年、四千年。言葉では数文字で簡単に表せるものだが、その内容は、当たり前の話だが、完全に別格の別物である。
そして、たかが十数年の歴史が、巨大な四千年の歴史を追い抜けるなど、世界中に信じる者など誰もいない。
いくら中国が、この十数年で、中国人は先進国並みに変わったと言っても、残念ながら、中国人は、今まで自分を変える必要などないほどの大国だったのだから、自分を変えねばならないということを学んだことがなかった。
かつて、日本が、欧米列強の世界への植民地支配が激烈になる中、アジア全体がどうあるべきかを、どれほど必死に説いても、耳を傾けることはなかった。
中国が自分たちが変わる必要などないと、頑として日本の世界現実に基づいた提言をはねつけたからこそ、日本は、当初の予定と違って、脱亜入欧という苦肉の策を選択せざるを得なかった。
それが最終的には欧米と敵対していくという、逃れられない要因を含んでいたことは、当時の日本人も薄々感づいていながら、それでも他に選択の余地はなかったのだ。
今現在の特アの東アジア人には想像もできまい。
西欧列強の中に、いまだかつて他に先んじる国も先駆者もなく、そこに飛び込んでいかざるを得なかった日本がどれほどのリスクを背負っていたか。全て日本の成功例を学ぶだけでよかった後発の東アジアの特ア人には想像もくつまい。
日本がこれほどのリスクを負い、しかも、国が戦争へ送った兵士以上の、莫大な民間人を数々の戦争犯罪で虐殺されてなお、日本が持ち直したのは、日本人ゆえというのもあるが、結局、かつて日本がこのようなリスクを負い、人類史上最悪の戦争犯罪の犠牲者になったのは、ひとえに、中国がふがいなかったからである。
それなのに、アジアを守ることを少しはかけらでも考えるべきでありながら、その責務を一切果たさなかった中国が、戦後、金ほしさに、自分のふがいなさを棚に上げて、中国のふがなさを全て一国で負った日本をアメリカと一緒になって責め、内相まで求めるとは、強者にひれ伏し、弱者に強気な、惨めな存在以外の何者でもないではないか。
朝鮮半島に関しては、中国の属国だったし、あまりに惨めで気の毒なので、彼らについてここでどうこうは言わないが、朝鮮半島と違って、中国大陸の責任である。歴史的に見ても、地理的に見ても、中国の属国だった半島などより、はるかに重かったと言わざるを得ない。
権利ばかり主張するのでなく、莫大な義務も負うべきだったのは中国である。それが、かつての中国の属国、半島人と同じ程度のことしか言えないとはどういう了見であるのか。
とりあえず、今回は、コピーの話である。
中国には、師匠と同等のものを完璧なコピーできる者が、徳の高い弟子で、後の師匠を名乗れるものという伝統があった。
これは、アナログな中国の歴史の中で、長年、通用してきた概念である。確かに一概にこれを悪とは言えない。
だが、21世紀に突入した現代、重んじられるものは、完全コピー力でなく、オリジナル力の重視である。
資本主義社会の現代は、最高のオリジナリティを皇帝が一人で独占する社会でない。一人のためだけではなく、全ての人のためであり、そうやって多額の利益を得る社会だ。
だからこそ、コピーが横行しては、資本主義社会は成り立たなくなる。資本主義社会に馴染んでいないというより、全く理解できていない者も多い中(少なくない、と書こうとしたが、そんなレベルで済む話ではない)、中国は、これからどうやってオリジナリティへの敬意を根付かせていくかということが重要になってくる。
征服した地域のよさげなものを、現物もろとも奪い取って、完全コピーを繰り返す時代はもう終わった。
中国は、中国以上のものを持つ世界の国々や地域を征服することは、もうできない。やろうものなら、あっという間に世界中の手強い敵を増やすことになりアウトだ。
それができないなら、あとできるのは、自分たちでオリジナル力を高めていくしかない。間違っても、もう堂々と征服できないからと言って、その国を征服するのでなく、スパイを送り込んで、技術や設計図など、かつての中国の歴史を髣髴とさせる、現物ごと盗むということを指示している場合ではないのだ、中国共産党は。
そして、たかが十数年の歴史が、巨大な四千年の歴史を追い抜けるなど、世界中に信じる者など誰もいない。
いくら中国が、この十数年で、中国人は先進国並みに変わったと言っても、残念ながら、中国人は、今まで自分を変える必要などないほどの大国だったのだから、自分を変えねばならないということを学んだことがなかった。
かつて、日本が、欧米列強の世界への植民地支配が激烈になる中、アジア全体がどうあるべきかを、どれほど必死に説いても、耳を傾けることはなかった。
中国が自分たちが変わる必要などないと、頑として日本の世界現実に基づいた提言をはねつけたからこそ、日本は、当初の予定と違って、脱亜入欧という苦肉の策を選択せざるを得なかった。
それが最終的には欧米と敵対していくという、逃れられない要因を含んでいたことは、当時の日本人も薄々感づいていながら、それでも他に選択の余地はなかったのだ。
今現在の特アの東アジア人には想像もできまい。
西欧列強の中に、いまだかつて他に先んじる国も先駆者もなく、そこに飛び込んでいかざるを得なかった日本がどれほどのリスクを背負っていたか。全て日本の成功例を学ぶだけでよかった後発の東アジアの特ア人には想像もくつまい。
日本がこれほどのリスクを負い、しかも、国が戦争へ送った兵士以上の、莫大な民間人を数々の戦争犯罪で虐殺されてなお、日本が持ち直したのは、日本人ゆえというのもあるが、結局、かつて日本がこのようなリスクを負い、人類史上最悪の戦争犯罪の犠牲者になったのは、ひとえに、中国がふがいなかったからである。
それなのに、アジアを守ることを少しはかけらでも考えるべきでありながら、その責務を一切果たさなかった中国が、戦後、金ほしさに、自分のふがいなさを棚に上げて、中国のふがなさを全て一国で負った日本をアメリカと一緒になって責め、内相まで求めるとは、強者にひれ伏し、弱者に強気な、惨めな存在以外の何者でもないではないか。
朝鮮半島に関しては、中国の属国だったし、あまりに惨めで気の毒なので、彼らについてここでどうこうは言わないが、朝鮮半島と違って、中国大陸の責任である。歴史的に見ても、地理的に見ても、中国の属国だった半島などより、はるかに重かったと言わざるを得ない。
権利ばかり主張するのでなく、莫大な義務も負うべきだったのは中国である。それが、かつての中国の属国、半島人と同じ程度のことしか言えないとはどういう了見であるのか。
とりあえず、今回は、コピーの話である。
中国には、師匠と同等のものを完璧なコピーできる者が、徳の高い弟子で、後の師匠を名乗れるものという伝統があった。
これは、アナログな中国の歴史の中で、長年、通用してきた概念である。確かに一概にこれを悪とは言えない。
だが、21世紀に突入した現代、重んじられるものは、完全コピー力でなく、オリジナル力の重視である。
資本主義社会の現代は、最高のオリジナリティを皇帝が一人で独占する社会でない。一人のためだけではなく、全ての人のためであり、そうやって多額の利益を得る社会だ。
だからこそ、コピーが横行しては、資本主義社会は成り立たなくなる。資本主義社会に馴染んでいないというより、全く理解できていない者も多い中(少なくない、と書こうとしたが、そんなレベルで済む話ではない)、中国は、これからどうやってオリジナリティへの敬意を根付かせていくかということが重要になってくる。
征服した地域のよさげなものを、現物もろとも奪い取って、完全コピーを繰り返す時代はもう終わった。
中国は、中国以上のものを持つ世界の国々や地域を征服することは、もうできない。やろうものなら、あっという間に世界中の手強い敵を増やすことになりアウトだ。
それができないなら、あとできるのは、自分たちでオリジナル力を高めていくしかない。間違っても、もう堂々と征服できないからと言って、その国を征服するのでなく、スパイを送り込んで、技術や設計図など、かつての中国の歴史を髣髴とさせる、現物ごと盗むということを指示している場合ではないのだ、中国共産党は。
これは メッセージ 151526 (jamingwithed さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1143582/ffccf4x78_1/151527.html