コピー文化は中国では価値が高かった1
投稿者: jamingwithed 投稿日時: 2008/01/19 09:33 投稿番号: [151526 / 196466]
近頃、何の気なしにテレビで見た、あらゆる中国の特集番組。
それを見て、全てに共通していると思ったこと。
それは、中国人のコピーへの飽くなき執着は、それこそ中国四千年の歴史と切り離して考えることはできないのだと。
中国では、陶器も、絵画も、書道も、料理も、何もかも全てが、師匠の完全なコピーができて、初めて一人前と認められることができた。
例えば、日本人が書道で学ぶ、まず、師匠となる人物の作品をお手本にして完全に写しとるという完全なコピーによる学ぶ方法も、書道の中国的コピーな学び方と一緒に、日本に渡ってきたと思われる。
中国四千年の歴史の中で、完璧なコピーは必ずしも悪いことではなく、師匠にそれほど近づけるということが、弟子としては最高の栄誉だった。
完璧なコピーが、賞賛に値するという、この中国四千年の歴史で培われた、中国的価値観が、ようやく資本主義経済を取り入れ始めて間もない十数年を追い抜くとは到底思えない。
しかも、中国が資本主義経済に手を染め始めたのは、技術も知識も額も莫大な資金も必要のない誰でもが、簡単に完全コピー可能なデジタル時代に突入してからのことである。
中国人は、物作りも料理も、侵略・征服した地域のものを、全て完全コピーしてきた歴史を持つお国柄である。
これらは、デジタルとは違い、それなりの知識や技術や経験が必要だった。名を残すには、さらに卓越した能力と運も必要だった。
だが、近代科学、特にデジタル時代に突入してからは、完全コピーではなく、オリジナリティが必要になってきた。
中国四千年の歴史には、価値あるものとして一度たりとも存在したことのないものである。
支配し征服した地域で、偶然見つけたいいもの、または、おいしい料理を、それに必要な技術を完全コピーすることだけが、価値あることとされてきた中国では、オリジナリティという部分に弱いのは仕方ないことなのだ。
以前、書いたが、中国には、ありとあらゆる調理方法、調理器具があるにも関わらず、ヨーロッパ式の釜(オーブン)の中で調理する方法だけが存在しなかったのは、中国がいまだかつて、ヨーロッパを侵略し、その調理方法や数々のメニューを奪い取ることができなかったからだと。
中国人は、釜では陶器を焼いていた。だから、釜で調理しようと思えばできたが、釜が料理をも作れる場所と認識したことは一度もなかった。
反対に、西欧人は釜の中で焼くことで、西欧料理やケーキなどの料理を作っていたが、中国から、陶器が渡ってくるまで、同様の仕組みを陶器を焼くことに利用しようと考えたことはなかった。
遠い東洋の国から手に入れたものを、さらに自分たち流に発展させた西欧人ではあったが、中国はといえば、西欧が中国を植民地支配するまで、釜を一つの調理器具として考えることは、ついぞ、ないままだった。
つまり、メニューごと盗むことなしに、中国人自身で新しいメニューなり料理なりを開発することがなかった、取るならメソッドだけではなく、コピー可能な現物まるごとでなければならなかった中国四千年の歴史に、これも例外になることはなかったということだ。(2000字超えたので2に続く)
それを見て、全てに共通していると思ったこと。
それは、中国人のコピーへの飽くなき執着は、それこそ中国四千年の歴史と切り離して考えることはできないのだと。
中国では、陶器も、絵画も、書道も、料理も、何もかも全てが、師匠の完全なコピーができて、初めて一人前と認められることができた。
例えば、日本人が書道で学ぶ、まず、師匠となる人物の作品をお手本にして完全に写しとるという完全なコピーによる学ぶ方法も、書道の中国的コピーな学び方と一緒に、日本に渡ってきたと思われる。
中国四千年の歴史の中で、完璧なコピーは必ずしも悪いことではなく、師匠にそれほど近づけるということが、弟子としては最高の栄誉だった。
完璧なコピーが、賞賛に値するという、この中国四千年の歴史で培われた、中国的価値観が、ようやく資本主義経済を取り入れ始めて間もない十数年を追い抜くとは到底思えない。
しかも、中国が資本主義経済に手を染め始めたのは、技術も知識も額も莫大な資金も必要のない誰でもが、簡単に完全コピー可能なデジタル時代に突入してからのことである。
中国人は、物作りも料理も、侵略・征服した地域のものを、全て完全コピーしてきた歴史を持つお国柄である。
これらは、デジタルとは違い、それなりの知識や技術や経験が必要だった。名を残すには、さらに卓越した能力と運も必要だった。
だが、近代科学、特にデジタル時代に突入してからは、完全コピーではなく、オリジナリティが必要になってきた。
中国四千年の歴史には、価値あるものとして一度たりとも存在したことのないものである。
支配し征服した地域で、偶然見つけたいいもの、または、おいしい料理を、それに必要な技術を完全コピーすることだけが、価値あることとされてきた中国では、オリジナリティという部分に弱いのは仕方ないことなのだ。
以前、書いたが、中国には、ありとあらゆる調理方法、調理器具があるにも関わらず、ヨーロッパ式の釜(オーブン)の中で調理する方法だけが存在しなかったのは、中国がいまだかつて、ヨーロッパを侵略し、その調理方法や数々のメニューを奪い取ることができなかったからだと。
中国人は、釜では陶器を焼いていた。だから、釜で調理しようと思えばできたが、釜が料理をも作れる場所と認識したことは一度もなかった。
反対に、西欧人は釜の中で焼くことで、西欧料理やケーキなどの料理を作っていたが、中国から、陶器が渡ってくるまで、同様の仕組みを陶器を焼くことに利用しようと考えたことはなかった。
遠い東洋の国から手に入れたものを、さらに自分たち流に発展させた西欧人ではあったが、中国はといえば、西欧が中国を植民地支配するまで、釜を一つの調理器具として考えることは、ついぞ、ないままだった。
つまり、メニューごと盗むことなしに、中国人自身で新しいメニューなり料理なりを開発することがなかった、取るならメソッドだけではなく、コピー可能な現物まるごとでなければならなかった中国四千年の歴史に、これも例外になることはなかったということだ。(2000字超えたので2に続く)
これは メッセージ 1 (messages_admin さん)への返信です.
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